「恐怖の極限状態」「家屋は一瞬で倒壊」…関東大震災「46時間続いた大火災」の恐怖

AI要約

東日本大震災や最近の地震についての現状を述べる。また、『首都防衛』という本が紹介され、防災についての必要な情報がまとめられている。

1923年の関東大震災や1995年の阪神・淡路大震災で火災が大きな被害をもたらした事例が挙げられる。防災意識の重要性が強調される。

被害想定や避難の重要性が示され、祖父の経験を通じて個人の生存について考えさせられる。

「恐怖の極限状態」「家屋は一瞬で倒壊」…関東大震災「46時間続いた大火災」の恐怖

2011年3月11日、戦後最大の自然災害となる東日本大震災が発生した。あれから13年、令和6年能登半島地震をはじめ何度も震災が起きている。さらには先日、南海トラフ「巨大地震注意」が発表され、大災害への危機感が増している。

もはや誰もが大地震から逃れられない時代、11刷ベストセラーの話題書『首都防衛』では、知らなかったでは絶対にすまされない「最悪の被害想定」が描かれ、また、防災に必要なデータ・対策が1冊にまとまっている。

(※本記事は宮地美陽子『首都防衛』から抜粋・編集したものです)

10万人超が犠牲になった1923年9月1日の関東大震災で、被害を拡大したのは火災だった。東京の焼失面積は約35平方キロ近くに達し、全体の約9割が火災によって命を失った。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災では地震発生直後に火災が同時多発的に起き、住宅密集地域を中心に7036棟が全焼した。

1980年に東京消防庁がまとめた『東京の消防百年の歩み』には、関東大震災発生時の悲惨な状況がこのように記されている。

「家屋は一瞬にして倒壊し、その下敷きとなって死者や傷者が続出し、たちまち市内は阿鼻叫喚の場と化した。しかもなお余震が続き、人々は、ただただ身の安全を求めて右往左往するばかりで、なすすべを失い、ちまたは恐怖の極限状態を呈した。

倒壊した家屋から火の手があがっても、人々は、激震におびえて消火活動がとれず、また水道管は破裂して用をなさず、発生した火災はたちまち紅蓮の炎となって地をなめ天を焦がしていった」

当時、道路は避難と家財を運ぶ人々で埋まり、橋脚も焼け落ちて通行不能だったという。火災は地震発生の2日後、9月3日まで約46時間にわたって続き、旧東京市の43%が焼失した。

東京都に住む田中雄司氏は、幼い頃に聞いた祖父の話を忘れない。

関東大震災の発生時、急いで広場になっていた被服廠跡に逃げようとした祖父母は、隅田川にかかる橋の手前で警察官に止められた。「これ以上、行ってはダメだ」。後に被服廠跡は火の海となり、3万8000人が亡くなったことを知る。このおかげで祖父母は命が救われ、田中氏の誕生につながった。

人生の三大支出にも数えられるように、住み慣れた自宅を変えることは簡単なことではない。だが、自分が暮らす地域は防災の観点からどうなのか、大規模火災が発生したときにはどこに、どのように逃げるべきなのかを今からでもチェックしておくことが生き抜くために重要と言える。

つづく「『まさか死んでないよな…』ある日突然、日本人を襲う大災害『最悪のシミュレーション』」では、日本でかなりの確率で起こり得る「恐怖の大連動」の全容を具体的なケース・シミュレーションで描き出している。