「朕は国家なり」のルイ14世も気を遣った?フランス絶対王政が勝手放題できなかったワケ

AI要約

歴史教科書は20年間で大きく変化し、絶対王政に関する認識も変わってきている。

絶対王政とは、近世ヨーロッパにおいて中央集権化を進める政体を指すが、厳密にはフランスやスウェーデン以外には当てはまらなかった。

フランスですら絶対王政は完全には成立せず、議会が長い間閉会するなど独裁体制は一部に留まった。

「朕は国家なり」のルイ14世も気を遣った?フランス絶対王政が勝手放題できなかったワケ

 かつて学んだ世界史や日本史。その知識が、実は“時代遅れ”になっているかもしれない。日々歴史は研究され、再評価が行われている。その中で、「歴史の常識」もアップデートされているのだ。例えば、近世ヨーロッパ史のキーワード「絶対王政」も近年、世界史の教科書上の扱いが変化しているテーマの一つ。実は絶対王政は“絶対”ではなかったのだ。どういうことなのか。その背景をひも解いていこう。(世界史講師 伊藤 敏)

● 世界史の教科書は アップデートされている

 2022年、高等学校教育は転機を迎えた。この年度より新課程が適用され、各科目でさまざまな変更が施されたのだ。

 中でも社会科では、

 (1)「日本史A」「世界史A」の廃止 → 新科目である「歴史総合」の設置

(2)「日本史B」「世界史B」の廃止 → それぞれに代わる「日本史探究」「世界史探究」の設置

 といった変化があった。

 今回の新課程の適用で、教科書にも大幅な変更が生じた。ただ、教科書の記述に関していえば、この新課程適用に限らず、ここ20年ほどの期間だけでも内容は確実に変化している。

 その一例が、「絶対王政」だ。世界史を学んだことがある人はもちろん、そうでない人も、このワードは聞き覚えがあるかもしれない。

 実は、この絶対王政の教科書上の扱いは、大きく変化している。どういうことなのか。

● 「絶対王政」は絶対じゃなかった!? 世界史の新常識とは

 現行(新課程)の教科書でも、相変わらず絶対王政という言葉は登場する。しかし、その扱いはかなり変わってきたと言える。

 まず絶対王政とは、「近世ヨーロッパにおいて、国王が諸侯(貴族)や教会などの権限を奪い、国王による中央集権化を進める政体」と定義されることが多い。しかし、ここで注意したいのが、歴史上にこの定義が完成した国が見当たらないということだ。実のところ、この絶対王政という言葉が厳密に合致するのはフランスやスウェーデンくらいしかない。

 例えば、イングランドは中世以来の議会が権限を失わず、スペインは中小規模の国家の複合体を一人の国王が兼ねる(同君連合)といったように、近世ヨーロッパの大半の国が、絶対王政とは言い難い状況にあった。

 一方、絶対王政が最も典型的に進んだ国家がフランスだ。フランスでは1615年から174年間ものあいだ議会が閉会した。中世よりヨーロッパ諸国の中でも王権による国家統合が進み、その延長にあったのが絶対王政だと言える。このため、17~18世紀のフランスでは、従来と比較して格段に王権が強化されたことは確かなのだ。

 しかし、そのフランスですら、絶対王政は“完成しなかった”。どういうことか。