ホンダF1挑戦から60年 角田裕毅選手の運転でグッドウッドで蘇った F1初優勝マシン「RA272」って?

AI要約

1964年8月2日、ホンダが初めてF1に参戦した日。RA271というF1マシンを開発し、ニュルブルクリンクでデビュー。

F1未経験のメーカーとしては驚異的な速さでマシンを完成させ、レースに参加したが、12周目にリタイア。

40年後、ホンダはグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに招待され、RA272でヒルクライムに挑戦することになる。

ホンダF1挑戦から60年 角田裕毅選手の運転でグッドウッドで蘇った F1初優勝マシン「RA272」って?

 1964年8月2日が何の日か、皆さんはご存知でしょうか?

 この日、世界中ではきっと様々な出来事が起きたはずですが、多くのクルマ好きにとっては、ホンダが初めてF1に参戦したこととしても忘れがたい1日となりました。

 そのプロジェクトが具体化したのは、同社初の4輪車である「T360」ならびに「S500」の量産化計画が精力的に進められていた1963年春のこと。

 つまり、ホンダはそれからわずか1年少々で、排気量1.5リッターのDOHC V12エンジンとこれにあわせて自社開発したシャシを作り上げ、ドイツGPが開催されるニュルブルクリンクに初のF1マシン「RA271」を持ち込んだのです。こんな離れ業ができる自動車メーカーは、おそらくホンダ以外になかったことでしょう。

 予選では規定周回数を満たせずに特例措置で決勝レースへの出走資格を手に入れたRA271は、15周のレースの12周目にアクシデントを起こしてリタイアに追い込まれましたが、それでもレース距離の2/3を消化していたことから完走扱いとなり、22台中13位という成績を残しました。

 F1未経験の自動車メーカーが突貫工事(失礼!)で作り上げたマシンのデビュー戦として、これ以上は望み得ない成績だったと思います。

 そんな波乱の船出から40年が経過した今年、ホンダはグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの主催者から一通の招待状を受け取ります。それは「ホンダF1参戦40周年を記念して、フェスティバル・オブ・スピードに参加しませんか?」というものでした。

 一般的に“グッドウッド”といえばフェスティバル・オブ・スピードのことを指すくらいメジャーな存在となったこのイベントは、世界各国の自動車メーカーがブースを設けて様々な展示を行ったり、丘を駆け上るヒルクライム・コースで一種のデモンストレーション走行を行うことなどを主なメニューとしていますが、ホンダは1965年モデルのRA272を会場に持ち込むだけでなく、このマシンでヒルクライムに挑戦する計画を立てます。

 それも、走行初日はホンダ・コレクションホールのテストドライバーとして20年以上にわたってRA272の面倒を看てきた宮城 光さんが、2日目には現役F1ドライバーの角田裕毅選手がステアリングを握るという、豪華な布陣で臨むことにしたのです。

 私は幸運にも、彼らの挑戦を密着取材する機会を手に入れましたが、ちょっと大げさにいえば、それは60年前のF1デビュー戦に思いを馳せたくなるほど、感動的なシーンの連続でした。

 もしかすると、モビリティリゾートもてぎ(元のツインリンクもてぎ)や鈴鹿サーキットでRA272のデモ走行をご覧になった方がいるかもしれませんが、実は、60年前のF1マシンを走らせることには、想像を絶する困難が伴うようです。