NHKの「名プロデューサー」はなぜ会社を去ったのか…本人が明かす「退職の理由」と「これから挑戦したいこと」

AI要約

村松秀さんはNHKを退職し、テレビの枠を超えた活動や若手育成に取り組んでいる。

NHKで学んだ公共への志が、新たなプロジェクトを展開する土台になっている。

映像制作の重要性と新たなフロンティアを切り拓く価値を若い人々に伝えることを強く願っている。

NHKの「名プロデューサー」はなぜ会社を去ったのか…本人が明かす「退職の理由」と「これから挑戦したいこと」

数々の名番組や人気番組を制作し、NHKきっての名プロデューサーと呼ばれながら、2年前に突然退職してメディア界を驚かせた村松秀さん。前編記事『名プロデューサーはなぜ「NHK」を去ったのか…本人が初めて明かす「真意」』ではNHKを辞めるまでについて紹介したが、村松さんはいま長く活躍したテレビの世界を離れて飛び込んだ大学という場で、若い人材を育てつつ、「公共のために」という志のもとに、多方面で独自のプロジェクトに挑戦している。

NHKでの番組制作で学んだことが、今、テレビの枠を超えた広い世界でも、人々の心を動かす活動の土台になっているという。50代にして転身した村松さんの、あの“カリスマ”に影響されたという人生哲学とはーー。

「なぜ、あんなにたくさん番組を作ってきたのにNHKを辞めたのですか?」

よく投げかけられるこの問いへの答えは、前編の、主に後半部分で述べた通りだ。整理すると次のようになる。

自分にとって仕事とは〈公共のためのフロンティアの開拓〉だと考えていたこと。長い間、テレビの科学番組の制作を通じて、その公共のためのフロンティアを作ろうと努めてきたこと。しかし次第に、フロンティアは科学の枠を超え、番組の枠もNHKの枠も超え、もっと外側へと広がっていったこと。そして、番組のオンエアと別の形で、多くの人々との間に直接的なコミュニケーションを取れる可能性が見えてきたこと……。

要するに筆者は、テレビ番組を作る仕事のノウハウをさらに積極的に外側にも拡張すれば、これまで挑んでこなかったエリアにも何か新たな架け橋を築けるのではないか──と考えたのである。それは、NHKで学んだ“公共への眼差し”があるからこそ、自分が社会のためにできることなのではないか、とも。

同時に、これからの映像メディアの世界を考えたとき、若手ディレクターの教育をもっと早く進める必要も感じていた。

就職する前の若い人々にこそ、人々の心を動かす映像制作の「芯」を持つことの大切さと、映像を通じて新たなフロンティアを生み出すことの「価値」を伝えていきたい。そう強く思うようになったのである。

NHK在職中から、東京大学をはじめ、いろいろな大学で学生たちに直接教える機会を多くいただいてきた経験も、その気持ちを支えてくれたように思う。