現場を困らせる「戦略プランニング」という矛盾

AI要約

「戦略プランニング」という考え方の核を成す要素は、戦略の形成と実行を切り離すことで、プログラム型組織向けのアプローチとして好まれるが、現実世界では通用しないことがある。

戦略実行の失敗は戦略形成の失敗に繋がる場合があり、戦略は自然に形づくられるべきものであると指摘される。

プログラム型組織の強みは効率性の向上にあり、組織のあり方を変えるよりも微調整を行う方が効果的である。

現場を困らせる「戦略プランニング」という矛盾

■「戦略プランニング」という矛盾

「戦略プランニング」という考え方の核を成す要素は、戦略の形成と実行を切り離すことだ。思考→実行もしくは分析→導入というプロセスをたどる。そうした性格上、プログラム型組織では非常に好まれる。しかし、このようにいわば無菌状態で戦略をつくり出しても、現実世界では通用しない。

 この考え方の下では、戦略がうまくいかなかった場合、どうしても戦略の実行を担う人たちの責任が問われることになる。戦略をつくる人たちがそのような非難をする場合もある。「せっかく我々が素晴らしい戦略をつくったのに、お前たちが能無しなせいで、うまく実行できないんだ!」という具合だ。しかし、この「能無し」たちが賢ければ、こんなふうに言い返すかもしれない。「あなたたちがそんなに賢いのなら、どうして能無しでも実行できる戦略をつくれなかったのですか」。戦略実行の失敗はすべて、戦略形成の失敗という面があるのだ。

 しかし、本当に批判されるべきなのは、戦略の形成と実行を切り離す発想そのものだ。このような発想は、戦略をつくる人たちが十分な情報をもっていて、しかも、状況が十分に安定していたり、予測可能性が十分に高かったりして、戦略の実行段階で戦略をつくり直す必要が生じないことを前提にしている。しかし、ここまで論じてきたように、実際にはこれらの条件が満たされるケースばかりではない。この点は、「機械」のように動くことを前提としているプログラム型組織ではとりわけ深刻な問題になる。要するに、「戦略プランニング」という言葉にはそもそも矛盾がある。戦略とは、計画的につくり上げるものではなく、自然に形づくられるべきものなのだ。

 現実には、現場でひっそり生まれたアイデアがのちに大々的に展開された結果として、素晴らしい戦略が生まれたケースは少なくない。家具製造・販売大手のイケアは今日、顧客が自分で組み立てる家具を販売している。この戦略は、同社のある社員がテーブルをマイカーに運び込もうとしてうまくいかず、脚を取り外したことから始まった。画期的な戦略が誕生した瞬間だった。「顧客にも、テーブルの脚を取り外して売ればいいのではないか」と思いいたったのだ。当時のイケアは、創業者がコントロールするパーソナル型の性格が強い組織だった。もし、プログラム型に分類されるような組織だったら、こうした現場のアイデアは、ピラミッド型組織のスラブに阻まれて上層部まで伝わらなかったかもしれない。

■機械としての構造や性質を上手に活用する

 組織のあり方を変えるべきだという話が持ち上がることは多い。プログラム型組織に関しては、とりわけそのような議論がよくなされる。しかし、本当にその必要があるのか。機械は、特定の役割を果たすように設計されている。家のヒーターは、それが設置されている場所で十分に役に立っている。ちゃんと暖かい空気を吹き出してくれる。私は機械工学の教育を受けているので、ヒーターを手直しして、髪の毛を乾かすドライヤーとして使えるようにすることも可能だろう。けれども、そんなことをするより、ドライヤーを買ってきたほうがよほど手っ取り早い。

 同様に、わざわざプログラム型組織のあり方を変えて、元々想定されていなかった役割を担わせようとする必要などないのではないか。それよりも、この種の組織が得意なことをうまく実行させるための微調整に徹したほうが賢明に思える。プログラム型組織の強みは、イノベーションをおこなうことではなく、あくまでも効率性を高めることにある。組織のメンバーがよそ見しないように目隠しをしておきながら、メンバーが視野を広くもつことを期待するのは道理に合わない。

 これまで長きにわたり、プランナーやコンサルタント、事業再構築の専門家、そしてさまざまな著述家たちは、プログラム型組織こそが組織のあり方の基本型だと主張し続けてきた。そうした論者たちは、それが時代を超えた「唯一で最善の方法」だと考えてきたのだ。私が思うに、組織のあり方を修正すべきだという主張の8割は、(そのように明確に意識しているかどうかはともかく)この種の組織を念頭に置いて述べられている。コントロールを強化すべし、目に入るものすべてを計画すべし、「機械」のメンテナンス係を用意して、コントロールと計画がもたらす結果に対処すべし、といった主張は、ことごとくそれに該当する。

 私は、組織のいかなる要素に関しても「5つの簡単な方法」の類いは好まない。しかし、ここではその禁を破り、みずからの組織の問題点を手っ取り早く修正したい最高責任者にあまりにおあつらえむきの「5つの簡単な方法」を用意した(あなたは、私の言いたいことにもうお気づきだろう)。

組織の問題点を手っ取り早く修正する「5つの簡単な方法」(どれかひとつでも負の効果ばっちり)(1)人間を「人的資源」として扱う。組織が数値目標を達成できなければ、最高責任者の責任は棚に上げて、「人的資源」を大量に解雇する。

(2)組織の歴史や文化をすべて無視する。その組織の事情を知らない「トップチーム」を新たに招いて、ひたすら数値計測に取り組ませる。

(3)マネジャーたちの人事異動を頻繁におこない、マネジメント以外はなにも知らない人物をつくり上げる。あなたが企業のCEOであれば、現実のビジネスをおこなう企業のマネジメントを担うだけで満足せず、出世の階段のさらに上を目指し、いくつもの企業を束ねるリーダーを目指す(企業以外の組織の長を務めている人は、「CEO」を名乗ればいい。この肩書をつけることにより、企業のマネジメントを担っているように見せかけるのだ)。

(4)こうしたことに伴う問題が積み重なってきたら、お手軽な解決策を実行する。コンサルタントを雇って、まだプログラム化されていないものをすべてプログラム化するのだ。

(5)そして、あらゆることを「5つの簡単な方法」の類いに則っておこなう。

 4つの組織形態には、それぞれの強みと弱みがある。プログラム型組織は組織づくりの「唯一で最善の方法」ではないかもしれないが、組織づくりの重要な方法のひとつであることは間違いない。私たちが大量生産による安価な製品やサービスを求め続け、機械よりも人間のほうがそうした製品やサービスを効率的に提供できる状況が続く限り、プログラム型組織はなくならない。そして、このタイプの組織がもつ短所は受け入れるほかない。

 お察しのことと思うが、私自身はこの種の組織で働きたいと思わない(私が好むのは、次の章で取り上げるタイプの組織だ)。それでも、イベントの開催地に赴くために利用する航空会社や、執筆した書籍の印刷会社に関しては、プログラム型が好ましいと思っている。つまり、私はこの種の組織で働きたくはないけれど、この種の組織が存在しなければ生きていけない。私は、ほかの人たちのことを「官僚的」だと揶揄することは避けるべきだと思っている。私だけでなく、大半の人がこの点を肝に銘じたほうがいい。私たちは誰もが―私も、そしてあなたも―官僚的な一面をもっている。なんらかの秩序を維持したいと思い、そのためにルールを守るよう主張するとき、人は官僚的な行動を取っているのだ。

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本連載は今回で最終回である。4つの類型の残り2つ「プロフェッショナル型」「プロジェクト型」の解説をはじめ、ミンツバーグ教授による組織論の叡智を、ぜひ書籍『ミンツバーグの組織論──7つの類型と力学、そしてその先へ』で確認していただきたい。