新紙幣の発行で肖像画が新たな“顔”に! 1万円札は渋沢栄一 5000円札は津田梅子 1000円札は北里柴三郎

AI要約

新紙幣の発行に伴い、1万円札の肖像には渋沢栄一が選ばれた。渋沢は近代日本経済の父として知られ、500を超える企業の創設や育成に貢献した。

5000円札には津田梅子の肖像が描かれる。津田は女子教育の先駆者であり、自らの学校である津田塾大学を創設した。

さらに新札は歴史的な変遷を経ており、聖徳太子や新渡戸稲造、樋口一葉といった偉人の肖像が刻まれてきた。

新紙幣の発行で肖像画が新たな“顔”に! 1万円札は渋沢栄一 5000円札は津田梅子 1000円札は北里柴三郎

新紙幣がいよいよ7月3日に発行される。新たなデザインによる紙幣の発行は2004年以来、実に20年ぶりとなるが、お札の歴史や肖像画に選ばれた偉人の功績をご存じだろうか?

今回のデザイン変更で1万円札の肖像に選ばれたのが渋沢栄一だ。

1958年12月1日に発行が始まった1万円札は今回のデザインが“4代目”で、これまで聖徳太子(初代)と「学問のすすめ」の著者であり慶應義塾の創立者として知られる福澤諭吉(2代目・3代目)が“顔”を務めてきた。

「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一は1840年、現在の埼玉県深谷市生まれ。

一橋慶喜(後の第15代将軍・徳川慶喜)に仕えると、一橋家の財政改善などで力を発揮し、実力が認められるようになる。

その後、27歳の時に慶喜の実弟で、後の水戸藩主・徳川昭武のヨーロッパ視察の随行に抜擢されると、先進的な技術や産業など欧州諸国の実情を見聞きした。

明治維新を経て、ヨーロッパから帰国した渋沢は蟄居した慶喜のいる静岡で、藩士官を命じられ商法会所(銀行と商社を兼ねた日本初の株式会社)を開いたほか、養蚕の普及や茶業の振興などに尽力。すると、明治政府から強い要請を受け、新しい国づくりに関わった。

生涯で創設や育成に関わった企業は約500と言われている。

続いて5000円札には津田梅子が描かれる。

1864年生まれの津田は、7歳になる直前の1871年12月に北海道開拓使が募集した日本最初の女子留学生の1人としてアメリカへと渡った。

現地の生活や文化を吸収し、渡米から11年後の1882年11月に日本へ戻るも、女性の地位の低さを憂い、自分自身の学校を作るという夢に向け1889年に再度アメリカへ留学。

ペンシルベニア州のブリンマ―大学では生物学を専攻し、共同で執筆したイギリスの学術雑誌に発表されるなど成果を残す。

そして帰国から8年が経った1900年、ついに女子英学塾、現在の津田塾大学を創設した。

なお、1万円札より1年あまり早い1957年10月1日に発行開始となった5000円札も今回が“4代目”。

肖像は聖徳太子、著書「武士道」が有名な教育者で思想家の新渡戸稲造、明治時代の作家で24歳の若さで夭折した樋口一葉と変遷している。