江戸っ子が「宵越しの銭」を持たなかった理由とは? 当時は「貯蓄なし」でも暮らしていけたの? 理由を解説

AI要約

江戸時代の「宵越しの銭は持たない」という言葉の意味と、その気風がもてはやされた理由について解説。

「宵越しの銭は持たない」気風がもてはやされた理由として、上方への対抗意識や火事が多かったこと、仕事に困らなかった環境などがある。

火事による財産消失のリスクが高かった江戸時代において、財産を守るよりも使ってしまう方が生活の安定を保つための考え方であった。

江戸っ子が「宵越しの銭」を持たなかった理由とは? 当時は「貯蓄なし」でも暮らしていけたの? 理由を解説

かつて「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」と言われていました。文字どおり稼いだお金を貯金せずにその日のうちに使ってしまうことを意味した言葉ですが、なぜそのような気風がもてはやされていたのでしょうか。

本記事では「宵越しの銭は持たない」ことがもてはやされた理由や、現代で「宵越しの銭は持たない」が通用するのかなどを解説します。

「宵越しの銭は持たない」とは、その日に稼いだ銭は貯金せずにその日のうちに使うことです。銭に執着しない江戸っ子の気風を示すものとして知られています。

「宵越しの銭は持たない」気風がもてはやされたのには、いくつかの理由が考えられます。

■上方(京都・大阪)への対抗意識

江戸時代は、当時新興都市だった江戸よりも、歴史のある上方(京都・大阪)が優れているという意識がありました。例えば、上方から運ばれてくる日本酒や醤油などは「下りもの(くだりもの)」として珍重されていました。下りものにならない商品は品質が劣ることから、現在使われている「くだらない」という言葉が生まれたといわれています。

江戸っ子は上方に対して強い対抗意識をもっていたといい、商業が盛んでお金への執着が強い風潮がある上方に対抗して、お金に執着しない気風を強調したかった面があるでしょう。

■火事が多い

江戸は火事が多い町でしたが、当時は現在のような消防はない上、江戸は過密都市でした。一度火事が起きると大火に発展するケースが多く、260年の江戸の歴史の中で約90件が記録されるなど、3年に一度は大火に見舞われていたほどです。

「鼠穴」「富久」「火事息子」など、火事を取り扱った落語が多くあるように、火事は江戸っ子にとって身近な存在だったことが分かります。

一方で、江戸時代には現在のような金融機関や火災保険はありません。自分の財産は自分で管理しなければならず、せっかく財産を築いても火事で燃えてゼロになってしまう可能性がありました。そのため、コツコツと貯蓄をするのではなく、使えるうちに使ってしまおうという気風が育ったといえます。

■仕事に困らなかった

江戸では仕事に困ることがなかった点も理由に挙げられます。例えば、火事が多いため大工など職人の仕事は絶えませんでした。職人だけでなく、焼け跡の片付けや土木作業など日雇い仕事にも事欠かなかったようです。

また、江戸時代は棒手振り(ぼてふり)と呼ばれる、天秤棒1本で商品を担いで売り歩く商人が多くいました。棒手振りは大根なら大根と、1つの商品のみを扱っていたため、かぼちゃ、納豆、金魚などさまざまな棒手振りが存在したそうです。棒手振りは元手もほとんどかからないため、商売を始めるのは現在と比べて容易だったといえるでしょう。

このように江戸には仕事があふれていたため、ぜいたくをしないのであれば無理に稼いで貯蓄をしなくても生活ができたようです。こうした点が「宵越しの銭は持たない」気風を生んだ理由の一つでしょう。