大学の「学費値上げ論争」が空転する日本の大問題 これからの日本の国立大学が果たすべき役割は?

AI要約

国公立大学の学費値上げ問題について、筆者が300万円に値上げすべきと主張し、東京大学の学生との討論で意見が分かれた。

討論では大学の役割について異なる見解が示され、法念さんは教育の場として、筆者は国家の競争力への貢献と考えている。

世界の国公立大学と私立大学の比率を考察し、日本の大学のあり方について議論が続いている。

大学の「学費値上げ論争」が空転する日本の大問題 これからの日本の国立大学が果たすべき役割は?

国公立大学の学費値上げが問題になっています。筆者が先日の記事(安すぎる大学の学費により日本社会が失ったもの)で「国公立大学の学費を300万円に値上げするべき」と書いたところ、多くのメディアから取材や番組出演の依頼を受けました。

 中でも興味深かったのが、東京大学の現役学生で値上げ反対運動をしているラッパーの法念さんとのABEMA「アベプラ」での討論でした(6月6日放映)。法念さんと筆者の主張は、それぞれ以下の通りです。

■双方の主張が平行線をたどった理由

 <法念さんの主張>

・ 大学という教育の場に、ビジネスの論理を持ち込むべきではない。

・ 大学教育を受けるのは、世界的に認められた権利である。

・ 大学のコストは国が負担し、授業料を無償にするべき。

 <筆者の主張>

・ 大学の競争力=国家の競争力。財政基盤を強化し、競争力のある大学を作るべき。

・ コスト増は受益者である学生(や親)が負担するべき。

・ 安さだけが魅力の特徴ない大学は、淘汰も止むなし。

 同じ問題について正反対の主張になったのは、2人が「大学の役割」についてまったく違った見方をしていることによるものでしょう。

 法念さんは、大学を「教育の場」と位置づけています。一方、筆者は、教育にとどまらず研究、さらには研究成果を活用してベンチャービジネス育成に貢献する「国家の競争力の源泉」と考えています。

 法念さんは、大学教育を受けるのは国民の権利なので、義務教育と同じく国が授業料を負担するべきと主張します。一方、筆者は、国による負担とは、大学とは無関係な一般国民に広く税負担を求めることであり、受益者負担の観点から不適切である、受益者である学生・親が負担するべきだ、と考えます。

 ということで、40分の討論は平行線で終わりましたが、個人的には、改めて「大学とはいったい何なのだろうか?」という問題意識が大いに深まりました。

■世界の国公立大学と私立大学のバランスは? 

 今後の日本の大学のあり方について考える前に、世界の状況を確認しましょう。下の表は、主要国の国公立大学と私立大学の学生数の割合です。

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