そうめんは伊勢参りの旅人が広めた...奈良県で辿る「三輪素麺」の伝統

AI要約

奈良県桜井市の三輪素麺の起源や地域の歴史と文化について紹介。素麺の製造方法や大神神社との関わり、祭りなどの伝統行事に触れる。

三輪素麺は保存がきく乾麺であり、夏の冷やし素麺や寒い日のにゅうめんとして親しまれてきた伝統食品。和洋中の料理にも活用されている。

大神神社の信仰と三輪山の風土が素麺に関わり、毎年行われる神事や感謝祭で地域文化や伝統が受け継がれている。

そうめんは伊勢参りの旅人が広めた...奈良県で辿る「三輪素麺」の伝統

あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。

今回は、奈良県桜井市の「三輪素麺(みわそうめん)」。保存がきく乾麺であり、夏の定番料理である冷やし素麺、寒い日に温まるにゅうめんと、日常で愛されてきた伝統食品の素麺。近年は、和洋中のさまざまな料理で食材としての活用も広まりつつある。その素麺の発祥の地として知られるのが、奈良・三輪山の麓である。ここには今も、地域の歴史文化と密接な手延べ素麺作りの現場があった。

【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】

昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。

【(編者)歴史街道推進協議会】

「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。

今より1200年あまり昔のことという。三輪山をまつる大神(おおみわ)神社の神主家・三輪族の氏上(うじのかみ)である狭井久佐(さいくさ)に、穀主(たねぬし)という息子がいた。このころ、飢饉と疫病が地域を襲い、人々を苦しめた。

穀主は三輪明神に救済を祈る。すると神託があり、それに従って穀主は、三輪の里に小麦をまく。ときを経て豊かに実った小麦を収穫した穀主は、三輪山から流れ出る河川の水車を動力とした石臼で実をひき、さらに大神神社内の「狭井の井戸」の神水でこねて麺を打ち、三輪山から吹き下ろす寒風にさらして保存食とし、飢える者の糧とした。

それが三輪素麺の始まりであるという。大神神社の社史にある伝承である。

大神神社と素麺事業者は、今も関係が深く、毎年2月5日には、その年の素麺相場を占う神事「卜定祭(ぼくじょうさい)」が神前で執り行われ、初取引の参考にされているという。また、夏の終わりに境内で開催される、素麺事業者にとっての年中行事の締めくくりにあたる感謝祭では、「そうめん踊り」が奉納されて地域文化の一つとして定着している。