山谷を駆け抜ける「マウンテントレール」カテゴリーを作り上げたシリーズの末裔セロー250

AI要約

ヤマハが投入した「セロー225」は、独自のコンセプトでオフロードバイクとして登場し、後に「セロー250」に進化した。

セロー225はマウンテントレールというコンセプトを掲げ、足付き性の良さやトルクバンドの広さを持つエンジンと組み合わせられた扱いやすいバイクである。

セロー225は車名や仕様を変えながらデザインや機能の向上を続け、女性ライダーからも支持を得てヒットモデルとなった。

山谷を駆け抜ける「マウンテントレール」カテゴリーを作り上げたシリーズの末裔セロー250

公道用オフロードバイクのメインストリームは、モトクロッサーの流れを組む2ストロークエンジン搭載車か、4ストロークエンジンを搭載した「エンデューロバイク」というカテゴリーのモデルであった。そこにヤマハが投入した「マウンテントレール」というコンセプトの「セロー225」は、独自のスタンスを保ちつつ「セロー250」へと進化していった。

文/Webikeプラス 後藤秀之

1980年代、ヤマハは2ストロークのDTシリーズと、4ストロークのXTシリーズというタイプの違うオフロードバイクを製造していた。DTは国産初の公道用オフロード市販車であるDT-1から始まり、DT250へと進化した。対するXTシリーズは1976年に発売されたXT500から始まり、1980年にXT250が発売された。1978年にホンダから空冷4ストロークSOHCエンジンを搭載したXL250Sが登場しており、XT250はそのライバルとして登場した。XTシリーズはXT125、XT200とラインナップを広げ、XT250は1983年に空冷4ストロークDOHCエンジンを搭載したXT250Tへとフルモデルチェンジした。

フルラインナップを揃えるXTシリーズだが、1985年にXT200をベースにした新しいコンセプトのバイクが発売された。XT200をベースに223ccまで排気量アップされたエンジンを搭載したそのバイクは、XT225-1KHという型式名称を持ちながら「セロー225」という名前が与えられていた。

「マウンテントレール」というコンセプトを掲げたセロー225は、シート高を低くして足付き性を良くし、軽い車体と大きなハンドルの切れ角で扱いやすいオフロードバイクとトライアルバイクのいいとこ取りをしたような車体に仕上げられた。この車体にエンジンは排気量アップすることでトルクバンドを広くしたエンジンと1速のギア比を低めた6速ギアを組み合わせ、山道での高い走破性能を実現していた。「セロー」とはカモシカのことであり、セロー225はその名を体現した山谷を自由に駆け回るバイクとして登場したのである。

1989年に発売された2代目ではセルフスターターを装備して始動性を向上、足付き性の良さとコンパクトな車体によって、女性ライダーを含めた幅広い層に受け入れられるヒットモデルとなった。1993年に登場した3代目では60Wのヘッドライトや、リアにディスクブレーキを採用して車名はセロー225Wに変更。1997年に登場した4代目ではガソリンタンクの容量が8.8Lから10Lへと拡大し、リアにチューブレスタイヤを採用したセロー225WEへと再度車名が変更された。2000年登場の5代目では排出ガス規制に対応するためにエアインダクションシステムなどを採用、2004年まで製造された。この5代目がセロー225としての最終モデルとなり、セローという名前は一度ヤマハのラインナップから姿を消すことになった。