こんなんガチに野生のライオンじゃん! 日本じゃオシャレで通ってる「プジョー」はアフリカでは質実剛健が売りのタフなクルマだった

AI要約

プジョー504はフランスの車両メーカーが製造し、アフリカで人気を博したモデルである。

504はアフリカでのハードな環境においても頑丈さを発揮し、故障があっても現地の人々が修理可能だった。

アフリカでは暑さ、砂塵、悪路などの過酷な条件下でも504は頑丈に走り続けた。

こんなんガチに野生のライオンじゃん! 日本じゃオシャレで通ってる「プジョー」はアフリカでは質実剛健が売りのタフなクルマだった

 日本でプジョーといえば、銀座の裏通りでピリッとした存在感を示したり、夜明け前の青山通りを結構なスピードで駆け抜けたり、どこまでもオシャレでスポーティなイメージ。

 ですが、ところ変わればイメージもへったくれもなく、50年以上前のモデルがまだまだ現役でこき使われるというヘビーデューティな一面も! アフリカをはじめ、中東などではそれこそ牛馬のごとく働かされていて、日本とは違って「丈夫な働き者」というレッテルが貼られているのです。

 そもそもプジョーがアフリカに上陸したのは、いうまでもなくフランスの植民地政策によるもの。20世紀はじめにはアフリカ横断政策として北部、西部、中部へと拡大し、セネガル、コンゴなどをはじめ、1911年にはモロッコも「保護国」という名目で植民地化されました。すると、本国からも多数のフランス人が移住することとなり「クルマがないと不便じゃね」となるのは当然のこと。

 むろん、プジョーだけでなくルノーやシトロエンといったメーカーもアフリカの地に多数のクルマを上陸させたのですが、人気ナンバーワンだったのが1968年にデビューしたプジョー504だった模様。504はピニンファリーナによる質実剛健、だけどエレガントなフランスらしさあふれるミドルクラスセダン。エンジンは1.8リッターの直列4気筒OHVで、のちに2リッターのディーゼルもラインアップされました。

 また、セダンのほか、ワゴンやピックアップ、そして同じくピニンファリーナのデザインによるクーペとカブリオレもあり、フランス本国では伝説的なヒットモデル。ちなみに、日本国内にも新東洋や西武自動車が正式輸入をしていましたから、オーナーズイベントなどではお馴染みかもしれません。

 で、アフリカでウケたのは504の頑丈さにほかなりません。ご想像のとおり、暑さや砂埃といった環境をはじめ、道なき道といえるほどの悪路、しかも程度の悪い燃料まで重なるとくれば、やわなクルマだったら500kmと走らないうちにお陀仏(笑)。ところが、504はシンプルで丈夫な設計からアフリカの逆風をものともせずに走ることができ、また故障しても現地の人々が「わりと簡単に」直せたといいます。