半身不随の妻を運転室で介護しながら中国全土を走った貨物トラック運転手の4年と20万キロ

AI要約

隴南市は中国北西部に位置し、面積は長野県と新潟県を合算したよりも大きい。西和県は乞巧文化の故郷で知られている。

聶建文と曹盈盈は幼馴染であり、貧しい生い立ちから結婚し、共に働き家族を支えている。

聶建文は2007年に上海市に出稼ぎに行き、トラック運転手として成功を収めて故郷に戻り、家族で幸せな日々を送っている。

半身不随の妻を運転室で介護しながら中国全土を走った貨物トラック運転手の4年と20万キロ

 隴南市(ろうなんし)は中国北西部に位置する甘粛省の東南部に所在し、省都の蘭州市までの距離は約430キロメートル、隣接する陝西省の省都である西安市までは約600キロメートル、同じく隣接する四川省の省都である成都市までは直線距離で312キロメートルある辺境の地であり、海抜は800~4200メートルと高く、周りを山に囲まれた盆地を3つの大河(白龍江・白水江・嘉陵江)が貫流している。

 隴南市の面積は約2万7800キロメートルで、日本の都道府県の面積ランキングで4位の長野県(約1万3560平方キロメートル)と5位の新潟県(約1万2580平方キロメートル)を合算した面積2万6140平方キロメートルよりも大きい。この広大な面積を持つ隴南市に居住する人口は260万人前後である。因みに、長野県と新潟県の人口は202万人と219万人で、その合計は421万人である。

 今回の話の舞台となる西和県はその隴南市の管轄下にあり、面積は日本の香川県(1877方キロメートル)とほぼ同じ1864平方メートルを有しながら、常住人口はわずか約35万人という過疎地である。なお、西和県は7月7日の七夕(たなばた)の夜に刺繍や裁縫の腕が上達するようにと女性たちが織女星に祈りをささげる「乞巧(きっこう) 文化」の故郷として中国国内で広く知られている。

 さて、今年41歳の聶建文(じょうけんぶん)は西和県生まれで、妻の曹盈盈(そうえいえい)は中学校の同級生として知り合った「青梅竹馬(幼馴染)」であった。中学に入学したその日に曹盈盈に「一見鐘情(一目ぼれ)した聶建文はすごくうれしかったという。曹盈盈は小さい頃から愛嬌があり、美しかったが、聶建文は家が貧しく、容貌は普通で身長も高くはなく、どこにも取柄がある訳ではなかった。2003年に二人が結婚した時、有能な曹盈盈と聶建文とでは釣り合わないと多くの人が声を上げたが、曹盈盈はわざと聶建文を兄ちゃんと呼んで冗談でその場の不穏な空気を紛らわしたのだった。

 一家の生計を立てるため、聶建文は2007年に上海市へ出稼ぎに出て貨物トラックの運転手になった。曹盈盈は故郷に残り、二人の子供を育て、聶建文の母親の世話をしていた。それから12年後の2019年に曹盈盈は10万元(当時のレートで約150万円)を借入れ、聶建文が蓄えていた10万元を加えた20万元(同300万円)で中古のトラックを購入した。こうして故郷の西和県へ戻った聶建文はトラックを運転して各地を走り回って貨物を輸送し、曹盈盈は義母と子供の世話をしながら、創業して衣料品や装飾品の店を開き、同時並行で家電販売店をも経営した。

 彼ら夫婦が充実した日々を送っている間に長男は17歳、次男は14歳になった。トラック輸送業者として独立した最初の年に聶建文は10万元以上(同150万円)の収入を稼ぎ出した。こうして仕事に自信を深めた聶建文は艱難苦楽を共にした曹盈盈とのは幸せな日々がいつまでも続くようにと祈るのだった。