「大学を出たけれど就職先がなくて…」高学歴化しているのに喜べない、現代中国を代表する「意外な職業」

AI要約

中国における新興職業「騎手」の存在とその急速な普及について解説されている。

若者たちにとっては魅力的な職業となり、経済的な貢献も大きい。

政府もこの職業の拡大を重要視し、雇用の創出に貢献している。

「大学を出たけれど就職先がなくて…」高学歴化しているのに喜べない、現代中国を代表する「意外な職業」

 中国は、「ふしぎな国」である。

 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。

 そんな中、『ふしぎな中国』に紹介されている新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。

 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。

 19世紀中盤、清国(中国)との貿易に多額の銀を支払うのが億劫になった大英帝国は、植民地にしていたインドの民にアヘンを作らせ、アヘンを清国に密輸して得た資金で支払うようになった。

 麻薬被害が深刻化した清は、アヘンを燃やして抗議。怒った大英帝国は世界最強の艦隊を東アジアに送り込み、「アヘン戦争」(1840年~1842年)を起こした。そして清を完膚なきまでに叩き、南京条約によって香港島を割譲させ、上海に租界(租借地)を築いたのだった。

 イギリスの上海支配は第二次世界大戦中の1943年まで、香港支配は1997年まで続いたが、両都市に支配の象徴のように建てたのが、競馬場だった。そこで活躍し、ヒーローになれる「騎手」は、現地の若者たちにとって憧れの職業だった。

 1949年に中国を統一した共産党政権は、競馬を「資本主義の害毒」とみなし、禁止した。2018年8月に広州市郊外に従化競馬場がオープンしたが、香港の沙田競馬場のトレーニングセンターの位置づけで、馬券を賭ける定期レースは行われていない。

 だが21世紀に入って、「騎手」は再び中国青年たちの「晴れの職業」となった。いまでは中国全土で、1000万人を超える「騎手」たちが活躍している。正式名称は「外売騎手」と言う。

 競馬は禁止されているのに、「騎手」が1000万人? そこに「外売」という不可思議な接頭語までついている。

 種明かしをすれば、「騎手」とは「配達員」のこと。「外売」は「出前」。つまり「外売騎手」は「出前配達員」を指す。特にコロナ禍になってからは、俄然注目を浴びている職業なのだ。

 私が「職業としての外売騎手」の存在を知ったのは、2009年のことだった。当時、北京で日系企業の現地代表をしていたが、大通りを挟んだオフィスの向かい側にマクドナルドがあった。

 中華料理三昧の生活を送っていると、日本で「ファストフード第一世代」の私としては、たまにはマックが食べたくなる。その日は朝から東京の本社も交えた電話会議漬けで、昼前にいったん散会したが、午後から再開されることになっていた。昼休みのうちに資料の修正をやっておかねばならない。

 そんな中で、「マックの発作」が起こった。だが11階のオフィスを降りて大通りの歩道橋を往復し、長々と店頭に並ぶ時間はない。私は思わず、マックに電話をかけた。

 「向かいのビルのオフィスに勤めている者なんですが、ランチセットの出前はやってませんか?」

 すると、意外な答えが返ってきた。「ウチとしてはやっていませんが、これからお伝えする携帯電話の番号にかけてみて下さい」

 教えられた番号に電話すると、青年が出て、「15分くらいで届けますが、手数料を10元(当時のレートで約130円)取ります」と言う。OKしたら、電話に出た青年が届けに来た。大きな箱には、他の部屋の分も入っていた。

 聞くと、「自分はフリーの『騎手』なんです」と答えた。「騎手?」

 彼は毎日ランチ時近くになると、マックの前に勝手に陣取って、近くのオフィスビルに勤める人たちからの電話を待っているのだという。ひと月の稼ぎを聞いたら、わが社の同年齢の中国人社員と「差不多(チャーブドゥオ)」(ほぼ同じ)だったので仰天した。

 いまでこそ、日本でも中国でも「ウーバー配達員」のような人たちは、当たり前の風景となったが、当時はレストランというのは「そこへ行って食べるもの」という固定観念があった。中国にも『必勝客(ビーシェンクー)』(ピザハット)の宅配ピザなどは、1990年代から存在したが、それらはあくまでもその店の店員が運んでいた。

 それがその青年は、「自分はフリーの『騎手』」と名乗ったのである。「騎手」という言葉を聞いて、私は武豊ら競馬の騎手を思い浮かべてしまった。だが、この青年はハンバーガーを相手にしていて、おまけに乗っているのは自転車だった。しかも昼間に数時間働くだけで、同世代と同等の月収を手にしているのだ。

 「隙間を見つけたら迷わず入って行け」―これは中国ビジネスの鉄則の一つである。どんな「隙間」であっても、日本の10倍以上の市場があるからだ。「隙間」を進んで行くと、思わぬ金脈に遭遇することも、応々にしてある。

 実際、2008年9月に、上海交通大学で同じことをやっていた張旭豪氏らが、「餓了麽(ウーラマ)」(お腹空いたかい)という珍妙な社名の会社を興した。中国初の外食デリバリー会社だ。

 その後の「餓了麽」の発展は、チャイニーズ・ドリームそのものだった。「準時必達(ジュンシービーダー)、超時秒賠(チャオシーミアオペイ)」(時間通りに必ず届け、約束の時間を超えたらその場で賠償する)をスローガンに掲げ、急成長していった。

 2018年4月にはアリババグループが、この会社を95億ドル(当時のレートで約1兆100億円)で買収した。2022年現在、中国全土2000ヵ所以上の都市に、約350万軒の加盟店を有し、毎日約450万回の配達を行っている。同社が抱える「騎手」の数は、300万人に上る。

 もう一つの大手「美団(メイトゥアン)」は、胡錦濤前主席や習近平主席の母校である清華大学の電子工程科を卒業し、アメリカで修士号を取った王興氏が、2010年に31歳で興した。

 「幇大家吃得更好(バンダージアチーダゲンハオ)、生活更好(シエンフオゲンハオ)」(皆さんの食事と生活をさらによくするのを手助けします)をスローガンに掲げ、こちらもこの10年余りで急成長した。

 同社の2021年の売上高は、前年比56%アップの1791億元(約3兆5820億円)。王興CEOは、同年のフォーブス世界長者番付で、総資産261億ドル(約3兆6000億円)で60位にランク付けされた。2021年時点で、527万人の「騎手」を抱えている。

 この両社を合わせると、「騎手」の数は827万人。国家統計局は、2021年末時点での「騎手」の人数を、約1300万人としている。これはもう現代中国を代表する職業の一つと言ってよい。

 実際、2020年2月に「騎手」は、「網約配送員(ワンユエペイソンユエン)」(ネット予約の配送員)という名称で、「国家職業分類目録」の新職業に明記された。2021年12月には、「網約配送員国家職業技能標準」が発布され、仕事内容や求められる技能、知識などが示された。

 加えて、2020年以降のコロナ禍にあって、「騎手」たちは市民の食生活の生命線となった。そのため、「騎手(チーショウ)」を「騎士(チーシー)」と呼び変えようという運動も起こったほどだ。

 李克強首相は、2022年3月5日に全国人民代表大会で行った「政府活動報告」で、「今年は1100万人以上の都市部での新規雇用を創出する」と宣言した。毎年1000万人の都市部での新規就業者創出は、共産党政権の最重要課題の一つとなっている。

 だが『ふしぎな中国』で述べているように、若年層の就業状況は最悪だ。そんな中、「騎手」は貴重な雇用創出の場になっているのだ。

 「騎手」の世界は、「専職(ジュアンジー)」と呼ばれる正社員と、「衆包(ジョンバオ)」と呼ばれるフリーランスに分かれる。圧倒的に多いのは、後者の方だ。ここ数年は、日本と同様に彼らの劣悪な待遇が社会問題化し、改善を迫られている。

 私も北京のホテルのエレベーターなどで、「騎手」とよく乗り合わせることがある。声をかけると、以前は農村から出て来た出稼ぎ組が多く、「月に2万元(約40万円)も稼いでいます」などと、喜々として答えたものだ。

 だが最近は、「大学を出たけれど就職先がなくて……」という青年が増えた。中には北京の名門校卒だったりもする。

 「騎手」の高学歴化は、決して喜べるものではない。