捨て子だった私の出生の「秘密」─実の両親は14歳の母とその兄だった

AI要約

出生後すぐに捨てられた男性が生みの母親を探し始め、予期せぬ真実が明らかになる。

養父母のスクラップブックに残された出生に関する情報を元に、男性は生みの母親を追い求める。

DNA鑑定の結果、男性は生みの母親を特定する手がかりを得る。

捨て子だった私の出生の「秘密」─実の両親は14歳の母とその兄だった

出生後すぐに親に捨てられ、養父母に育てられた米国の男性は、成人になってから生みの母親を探した。しかし、DNA鑑定を受けてわかったのは、想像もしなかった真実だった。米誌「アトランティック」の長編ルポを、前編後編に分けてお届けする。

スティーブ・エドセルが子供の頃、彼の養父母は寝室のクローゼットに新聞の切り抜きを集めたスクラップブックを置いていた。彼はときどきそれを取り出して、自分の出生に関する見出しに目を通した。たとえば、次のようなものだ。

「母親が息子を見捨て、病院から逃走」

1973年12月30日、米紙「ウィンストン・セーラム・ジャーナル」

その母親とは、「身長167cm、髪の色は赤みがかった茶色」の14歳の少女だ。朝早くに自分の両親と一緒に病院に来て、出産から数時間後の夜8時にはいなくなっていた。申告されていた名前はすべて偽名だったことが後からわかった。看護婦の回想に基づく白黒の絵では、その母親は丸眼鏡をかけ、前髪を横に流しており、口元は険しい。

捨てられた赤ちゃんは、その地域に住むエドセル夫妻によって養育されることとなった。

スティーブは、これらのストーリーを知りながら育った。両親はそれを隠そうとはしなかったし、何かを聞くといつもスクラップブックを渡してくれた。しかし、彼は14歳になったとき、生みの母親のことが気になり始めた。「彼女はこの歳で僕を生んだのだ」と。

スティーブは20代になってから本格的に彼女を探し始めた。しかし、書類上の記録を追っても、得られる情報は限られていた。40歳になった2013年のとき、彼は妻のミシェルに最後に実母を探したいと告げた。そして彼は、その前年に販売が開始された郵送のDNA検査キット「アンセストリーDNA」を購入した。初めの検査結果でわかったのは数人の遠縁で、あまり頼りにならなかった。

それから生物学的家族を探す人々のためのフェイスブックのグループに投稿を始めた。すると、DNA探偵のシーシー・ムーアと知り合えた。彼女は、当時まだ珍しかったDNA照合による人探しのパイオニアで、スティーブはその助けを得られることになった。