「いっそ海外に逃げてしまえ」…総書記は知らない、中国で起こっている「ブームの正体」

AI要約

中国は、「ふしぎな国」である。いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。

『ふしぎな中国』の中の新語.流行語.隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。

習近平政権が発足して10年が経ち、2022年に「潤学(ルンシュエ)」という流行語が生まれ、「逃亡としての留学」という現象が広まっている。

「いっそ海外に逃げてしまえ」…総書記は知らない、中国で起こっている「ブームの正体」

 中国は、「ふしぎな国」である。

 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。

 そんな中、『ふしぎな中国』の中の新語.流行語.隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。

 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。

 中国を一党支配する共産党は、日本の政権与党である自民党の約86倍の党員数を誇っている(2021年末現在)。「自民党が地球なら、中国共産党は太陽さ」と私に豪語した中国の政治家がいたが、たしかにまもなく党員数が1億人を突破する世界最大の政党なのだ。

 2012年11月15日、その頂点である総書記に上り詰めたのが、習近平氏である。習氏が総書記に選出された第18回中国共産党大会は、私も北京の人民大会堂で取材した。

 習近平新総書記は2週間後の11月29日、自らが改装を指導した天安門広場東側の国家博物館を、「トップ7」(中央政治局常務委員)を帯同して参観した。お目当ては、特別展「復興の路」だった。

 そこには、1840年のアヘン戦争でイギリスに敗れ、香港島を割譲してからの「屈辱の100年」と、1949年に毛沢東主席率いる共産党が中国統一を果たし、今世紀に飛躍的な経済発展を果たすまでの「栄光の60年」が展示されていた。

 習新総書記は、共産党ゆかりの展示物に囲まれた部屋で、「トップ7」の6人を直立不動にして、高らかに宣言した。

 「いまや誰もが『中国の夢』を論じている。私が思うに、中華民族の偉大なる復興を実現すること、それこそが中華民族の近代以来の最も偉大な夢想なのだ!」

 ここから、「中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現」、略して「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」が、習近平体制のスローガンとなった。

 その翌月、私は北京を再訪し、北京大学留学時代の仲間たち3人と会食した。高級官僚二人と、メディアの幹部だ。その際、新たに掲げられた「中国夢」について訊ねると、一人がこう答えた。

 「『中国夢』というスローガンは、大変すばらしい。ただ一つだけ心配がある。それはおそらく、『中国夢』を実現した中国人から、次々と海外へ飛び立ってしまうだろうということだ」

 一同爆笑である。だが言われてみれば、その3人とも、表向きは日々、アメリカを批判していたが、子供たちをアメリカに留学させていた。私がそのことを指摘すると、「新総書記の一人娘(習明沢氏)だって、現在ハーバード大学に留学中らしいよ」と返された。

 この会食時の話題にも出たが、思い起こすのは「『建国大業』事件」である。2009年10月1日の新中国建国60周年に合わせて、当時の胡錦濤政権の肝煎りで、『建国大業』という国策映画を作ることになった。

 1949年の建国に至る苦難の中国現代史を、壮大なスケールで描く大作で、中国を代表する172人の俳優たちが総出演すると発表された。

 ところが、ほどなくネット上で、彼ら俳優陣のほとんどが、すでに外国籍を取得していることが暴露されたのである。「『外国人』が演じて、何が『建国大業』か」というわけだ。その様子を、『中国青年報』(2009年8月19日付)は、こう報じている。

 〈国家の成立を記念する大型映画『建国大業』に関する「俳優リスト」なるものが出回り、人々の論争が止まない。リスト上の俳優たちには一つの共通点があって、それはすなわち誰もが外国籍を取得しているというのだ。「俳優リスト」に名が挙がった俳優たちの中で、結局、9人だけが映画の撮影に参加した。それでも、うち二人はやはり(中国籍を捨てて)香港のグリーンカードを取得していた。いまだ「国籍」論争は激しく吹き荒れている〉

 当時、北京に住んでいた私は、文化産業の日系企業の副総経理(副社長)を務めていた関係で、中国の芸能界の人たちと付き合いがあった。その中に、「ミスター3」と呼ばれる男がいた。真偽は不明だが、「北京で3番目の富豪」という意味だそうで、「北京芸能界のドン」と恐れられていた。

 「ミスター3」と会食時に、「『建国大業』事件」の話をしたら、苦笑して言った。

「彼らが外国籍を取るのは当然だ。かくいうオレだって、とっくに香港のグリーンカードを取得している。

その理由は第一に、外国の映画祭などを年中回るので、中国籍でいるとビザの取得が面倒だからだ。第二に、莫大な財産を手にしているので、いつ共産党に持っていかれるかしれないからだ」

 私は、なるほどと思って聞いていた。だが当の「ミスター3」も、習近平政権になってほどなく御用となり、「失脚」がニュースになった。経営していた大会社も強制的に身売りさせられたくらいだから、全財産没収となったのだろう。

 そんな習近平体制が発足して10年が経った2022年、「潤学(ルンシュエ)」という流行語が生まれた。

 「潤」は「潤う」だが、もう一つ別の意味を掛けている。それは「潤」の中国語のピンイン(発音)にあたる「run」である。これを英語に見立てて、「走る」「逃げる」の意で用いているのだ。

 つまり、「海外へ逃げて潤う」。これに「学」を付けて、「留学」の新しいスタイルというわけだ。「潤学」する人を「潤者(ルンジャー)」と呼ぶ。

 中国の大学入試は「高考(ガオカオ)」(普通高等学校招生全国統一考試)と呼ばれる一発勝負で、2022年は6月7日~10日に開かれた。試験の時間割は地域によって微妙に異なったが、首都・北京の場合は以下の通りだった。

 7日の9時~11時半が語文(国語)、15時~17時が数学、8日の15時~17時が英語(外国語)で、ここまでが必須科目。続いて選択科目で、9日の8時~9時半が物理、11時~12時半が思想政治、15時半~17時が化学、10日の8時~9時半が歴史、11時~12時半が生物、15時半~17時が地理。思想政治とは、共産党の歴史から現在の習近平思想までを指す。

 受験したのは、過去最多の1193万人! 彼らは「一人っ子世代」なので、親たちは息子や娘を、何としてでも大学に進学させようとする傾向がある。

 だが前述のように、就職戦線は「超超超超氷河期」だ。特に、習近平政権が強行した「ゼロコロナ政策」の影響が大きかった。わずかな感染者でも都市をロックダウンしてしまうので、各地で会社や店舗の倒産が相次ぎ、就職先が激減してしまったのだ。

 また、「高考」を受験した1193万人も、毎朝、試験会場でPCR検査を受けさせられ陰性証明が出ないと教室に入れてもらえなかった。ただでさえ受験で緊張しているのに、毎朝のPCR検査まで加わったことで、受験生には悪評紛々だった。

 そういうわけで、「いっそ海外に逃げてしまえ」という気運が、若者たちの間で高まり、「潤学」がブームになっているのだ。留学斡旋業界は、中国で例外的に活気づいている。

 思えば、私が北京大学に留学していた1990年代も、卒業後に海外の大学院に留学する学生は多かった。当時は、一にアメリカ、二にヨーロッパ、三に日本かオーストラリアと言われていた。だがどこへ行くにしても、希望に胸を膨らませての「留学」だった。

 実際、彼らの中には留学後に帰国した人が多く、胡錦濤時代には「海亀派(ハイグイパイ)」と呼ばれて経済発展の原動力になった。中国で起業して成功を収めた「海亀派」も少なくない。

 その胡錦濤時代の2010年には、「裸官(ルオグアン)」が問題視された。何やら意味深な言葉だが、これは自分の子女が海外(主に欧米)へ留学する。その後時を置いて妻も子女のもとへ行く。

 こうして家族別居となった幹部が「裸官」だ。習近平時代の2014年末には、3200人余りの副処(課)長級以上の「裸官」を処分したと発表。私の知人も数人が職を追われた。

 だがいま起こっているのは、もっと後ろ向きの現象で、「逃亡としての留学」である。「もうこんな国にいたくないから、留学にかこつけて逃げよう」というわけだ。

 実際、コロナ禍にかこつけて、2022年5月10日に国家移民管理局は、国民の不要不急以外の出国を厳格に制限する方針を示した。そうなると「留学」以外に出国の道はなく、一家全員で留学先を見つけて逃亡する「全家潤学(チュエンジアルンシュエ)」がはやり始めた。

 習近平総書記が「中国夢」をスローガンに掲げて、丸10年。側近の誰かが「潤学」という流行語を、習総書記に教えてあげているだろうか? いや、総書記は知らないだろうな。