映画「ボストン1947」モデルのマラソン選手・孫基禎さんの孫が語る祖父の人生と栄光

AI要約

孫基禎は朝鮮出身でありながら日本代表として金メダルを獲得した陸上選手で、五輪後はスポーツを通じた世界平和を訴える活動を行った。

ベルリン五輪ではユニホームの日章旗を隠して表彰式に臨んだ経験を持ち、常に栄光を追い求める姿勢を貫いた。

孫基禎は亡くなるまで様々な経験を通じて人々に影響を与え続け、太く長い人生を生きた功績を残した。

映画「ボストン1947」モデルのマラソン選手・孫基禎さんの孫が語る祖父の人生と栄光

1936年のベルリン五輪マラソン競技。朝鮮出身でありながら日本代表として金メダルに輝いた孫基禎(ソン・ギジョン、1912~2002)。植民地支配から解放後の1947年、ソンらはボストン・マラソンに出場する若い才能のある選手に「祖国の記録」を取り戻す願いを託す。全国公開されている韓国映画「ボストン1947」(カン・ジェギュ監督)は、実話に基づくヒューマン・ストーリーだ。実際の孫基禎はどんな人物だったのか。孫で、横浜に住む孫銀卿(ソン・ウンギョン)さんは、幼い頃に触れあった祖父を「今でも世界に影響を与え続けている人物」だと語る。(牧野愛博=

朝日新聞外交専門記者)

――孫基禎はどのような人物だったのでしょうか。

朝鮮戦争(1950~1953)の前後を通じ、陸上選手の育成に力を注いだ人でした。私が物心ついたころは、すでに育成の仕事から退き、「スポーツを通じた世界平和」を訴えていました。豪快ではっきりと物を言う人でしたが、様々な経験をしたため、場をわきまえて発言をしていました。

五輪など国際大会の経験が豊富で、グローバルな視点を持っていました。国際ニュースを見ていると、常に自分の視点で考えを語っていました。「スポーツをする人間は世界平和に貢献すべきだ。その結果、選手も幸せになれる」と常に口にしていました。

――ベルリン五輪の表彰式では、ユニホームの日章旗を隠して、日本から目をつけられる経験もしました。

私が昔、「ベルリン五輪のとき、ヒトラーと握手をしたの」と聞いたことがあります。祖父は「握手をした」というので、その手を握って「私は今、歴史と握手をしているんだね」という話もしました。

本人は複雑な思いがあったと思います。常に「1番以外は意味がない」とも語っていました。栄光を得たいと考えていましたから、ベルリン五輪マラソン競技で優勝したこと自体、とてもうれしかったと思います。

その後の経験が、様々なマイナスももたらしました。でも、90歳で亡くなった時、決して不満のある人生だったとは思わなかったと思います。100点満点でなくても、太く長い人生を生きた人でした。波瀾万丈だけれども、他の人にとても影響を与え、今でも与え続けている、すごく意味のある人生だったと思います。