米軍の幻の日本本土上陸作戦、「コロネット作戦」を免れて千葉の海岸に戻った素敵な笑顔

AI要約

女性たちは船を押し、男性は網の準備をする。カタカイの海岸では、女性が漁船を海に出すのが普通だった。

片貝海岸は太平洋戦争末期、上陸地点として計画されたが、日本の降伏により実行されなかった。

1949年の日本は食糧難でGHQの占領下だったが、写真に写る人々は笑顔を見せていた。

米軍の幻の日本本土上陸作戦、「コロネット作戦」を免れて千葉の海岸に戻った素敵な笑顔

 女性たちが船を押し、船上では男性が網の準備をする。1950(昭和25)年5月号の特集「自由への道を歩む日本」に掲載された1 枚で、「カタカイの海岸では、漁船を海に出すのは女性の仕事」という説明が添えられている。かなりの重労働だが、笑顔を見せているのは、何か楽しいことがあったからか。それとも、カメラを向けられているからだろうか。

「本州の太平洋岸に位置するこの海岸は、東京への攻撃が可能な範囲内にあり、日本が降伏する前には上陸地点の一つとして計画されていた」と写真の説明は続いている。この記述から、カタカイというのは千葉県東部の九十九里浜にある片貝海岸を指していると思われる。

 太平洋戦争の末期、米軍は九十九里浜と相模湾から関東に上陸する「コロネット作戦」を計画していた。上陸予定日は1946年3月1日。しかし、日本が前年8月に降伏したために、この計画が実行されることはなかった。

 特集の取材班が日本を訪れたのは、終戦から4年後の1949年。当時の日本はまだGHQ(連合国軍総司令部)の占領下にあり、海外からの援助に頼らなければならないほどの食糧難だった。そんななかでも、特集に掲載された多くの写真で人々は笑顔を見せている。

※この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2024年8月号に掲載されたものです。