パレスチナのボクシング選手 「次の五輪では勝者に名を刻む」

AI要約

パレスチナ代表のボクサー、ワシム・アブサルがオリンピックに挑む姿を通じて、自身の背景や困難に立ち向かう姿勢が明らかになる。

アブサルは占領地で練習を積み、代表としての責任を感じながら競技に臨んだ。

コーチの遠隔指導やガザ地区での人道危機など、多くの困難を乗り越えながらアブサルは五輪に挑戦する決意を示す。

パレスチナのボクシング選手 「次の五輪では勝者に名を刻む」

 占領地で練習を積んできた。故郷では戦争や抑圧が続く。そんな中、努力を重ねてたどりついたオリンピックの舞台で、28日に行われたボクシング男子57キロ級1回戦に出場したパレスチナ代表、ワシム・アブサルは言った。「僕は自分のためだけにここに来たわけではない。(パレスチナの)拘束されている人たちや負傷した人たち、そして死んだ人たちの代表として来た」

 アブサルがリングに上がると、会場は沸いた。対戦中、観客から何度も「ワシム」コールが起こり、パンチを入れるたびに大きな拍手が広がった。試合には敗れたものの、3回9分間、スウェーデンの選手を相手に最後まで前へと進んだ。

 アブサルはパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の主要都市ラマラに暮らす。一方、コーチのアフメド・ハララさん(32)はガザ地区生まれで、2015年からエジプトに住んでいる。23年に代表チームのコーチに就任し、アブサルへの指導を始めたが、アブサルの指導は簡単ではなかった。イスラエルの占領が続く中、ガザ出身者が西岸地区を訪ねる許可を得るのは極めて難しいからだ。

 そこで始めたのが、テキストメッセージによる「遠隔指導」だった。毎朝、練習プログラムを書いて送信し、アブサルはそのメニューをこなす。実際に対面で指導するのは、国外で合宿に参加した時だけだった。それでもアブサルはみるみる上達していった。

 だが、昨年10月に新たな困難が立ち塞がった。ガザ地区でイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が起き、未曽有の人道危機が始まったからだ。

 ガザでは連日、数十~数百人が命を落とし、飢えた住民は雑草や動物のえさを食べざるを得ない。ハララさんは「合宿の計画はつぶれ、私はガザに残る家族と40日間連絡が取れなくなった。心理的にトレーニングに集中できなくなった」と振り返る。

 それでも練習を再開したのは「恐怖のために夢をあきらめたくなかったから」だった。ハララさんはガザの情勢はアブサルにはなるべく伝えず、ひたすら練習に打ち込んだ。「私たちも生きるに値する人間のはずだ。殺されたガザの子供たちにも夢があり、それをかなえる権利があった」。アブサルのパリ五輪出場が決まった時は、「パレスチナに希望を与える」と喜びが込み上げた。

 この日の試合で敗退すると、アブサルはリングに額をつけて、祈るような仕草を見せた。それから観客に向け、勝者のように両手を上げた。「僕の道は始まったばかりだ。日夜練習に励み、次の五輪では勝者の中にパレスチナの名を刻む」【パリ金子淳】