# 海戦

海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した
2024.08.27

海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した

マリアナ沖海戦の3カ月前、日本海軍はその後の作戦に大きな影響を及ぼすミスを犯していた。昭和19年(1944)3月、機密文書を紛失したのである。世にいう「海軍乙事件」だが、日本海軍はその対処においても、過誤を重ねてしまう。そこから見える日本海軍の問題点に迫る。※本稿は、『歴史街道』

戦艦大和と同じ日に沈んだ「知られざる武勲艦」とは? 旧式だけど東奔西走! 時代に即した”大改造”も
2024.08.15

戦艦大和と同じ日に沈んだ「知られざる武勲艦」とは? 旧式だけど東奔西走! 時代に即した”大改造”も

 今から100年以上前の1923年8月15日、旧日本海軍の軽巡洋艦「五十鈴」が竣工しました。太平洋戦争の開戦時には旧式化していましたが、時代に即したアップデートを受け、「縁の下の力持ち」として東奔西走。奇しくも戦艦「大和」が沈没した同日に、全く別の場所で戦没しています。どのような艦艇だったので

日本人はなぜ山本五十六が好きなのか? “名将”に感情移入してしまうこれだけの理由《半藤一利×保坂正康特別対談》
2024.08.10

日本人はなぜ山本五十六が好きなのか? “名将”に感情移入してしまうこれだけの理由《半藤一利×保坂正康特別対談》

 最後まで開戦に反対し続け、昭和18年、前線視察の際ブーゲンビル島の上空で戦死した山本五十六。日本人はなぜ悲運の名将に惹かれるのか。ここでは『 昭和の名将と愚将 』(文春新書)より一部抜粋。その理由を半藤一利、保坂正康のふたりが解き明かす。◆◆◆保阪 しかし、これだ

木竜皇が5勝目!新十両昇進確実に涙「少しでも恩返しできたら」父は元幕内・時津海…親子関取誕生へ
2024.07.24

木竜皇が5勝目!新十両昇進確実に涙「少しでも恩返しできたら」父は元幕内・時津海…親子関取誕生へ

 ◇大相撲名古屋場所11日目 (2024年7月24日 愛知・ドルフィンズアリーナ) 西幕下筆頭の木竜皇(21=立浪部屋)が聖富士(20=伊勢ケ浜部屋)を下して5勝目を挙げ、新十両昇進を確実とした。 立ち合い低く当たるとすぐに右腕を手繰られて左上手から攻め込まれたが、

東郷平八郎「武士の情け」より「停止」 降伏旗を掲げたバルチック艦隊に大砲を撃ち続けた理由
2024.07.14

東郷平八郎「武士の情け」より「停止」 降伏旗を掲げたバルチック艦隊に大砲を撃ち続けた理由

 日露戦争・日本海海戦は世界の海戦史上でも例のない完勝だった。それは徹底した砲撃訓練戦術の研究、火薬や信管の開発など入念で周到な準備に支えられた連合艦隊がもたらしたものだ。世界が驚嘆した日本海海戦における日本の秘策を4回にわたって解説する。最終回の4回目は「歴史的勝利と講和条約」。(『歴史道』

【日露戦争】東郷平八郎は戦闘開始わずか30分間で勝利を確信 ロシア新式戦艦5隻の末路とは
2024.07.13

【日露戦争】東郷平八郎は戦闘開始わずか30分間で勝利を確信 ロシア新式戦艦5隻の末路とは

 日露戦争・日本海海戦は世界の海戦史上でも例のない完勝だった。それは徹底した砲撃訓練戦術の研究、火薬や信管の開発など入念で周到な準備に支えられた連合艦隊がもたらしたものだ。世界が驚嘆した日本海海戦における日本の秘策を4回にわたって解説する。3回目は「昼の砲撃と夜の駆逐艦」。(『歴史道』Vol.

東郷平八郎 VS バルチック艦隊 敢えて隙を見せた「東郷ターン」と「丁字」陣形ができるまで
2024.07.12

東郷平八郎 VS バルチック艦隊 敢えて隙を見せた「東郷ターン」と「丁字」陣形ができるまで

 日露戦争・日本海海戦は世界の海戦史上でも例のない完勝だった。それは徹底した砲撃訓練戦術の研究、火薬や信管の開発など入念で周到な準備に支えられた連合艦隊がもたらしたものだ。世界が驚嘆した日本海海戦における日本の秘策を4回にわたって解説する。2回目は「東郷ターン」。(『歴史道』Vol.33「日清

「世界最強」のバルチック艦隊で自殺者も続出 将兵たちの士気はなぜ低下したのか
2024.07.11

「世界最強」のバルチック艦隊で自殺者も続出 将兵たちの士気はなぜ低下したのか

 日露戦争・日本海海戦は世界の海戦史上でも例のない完勝だった。それは徹底した砲撃訓練戦術の研究、火薬や信管の開発など入念で周到な準備に支えられた連合艦隊がもたらしたものだ。世界が驚嘆した日本海海戦における日本の秘策を4回にわたって解説する。1回目は「VSバルチック艦隊」。(『歴史道』Vol.3

強大な清・北洋艦隊を撃破! お雇い外国人から伝授された連合艦隊の「斬新な戦法」とは
2024.07.07

強大な清・北洋艦隊を撃破! お雇い外国人から伝授された連合艦隊の「斬新な戦法」とは

 明治維新から30年足らずだった日本は、当時、侮れない存在として「眠れる獅子」と称されていた清とどのように戦ったのか。誰も予想しえなかった日本勝利で終わった日清戦争を、テレビでもおなじみの河合敦さんが8回にわたって解説する。第5回は「黄海海戦1894年9月17日」。 *  *  

尹大統領、第2延坪海戦勝利日迎え「平和は言葉ではなく力で守るもの」
2024.06.30

尹大統領、第2延坪海戦勝利日迎え「平和は言葉ではなく力で守るもの」

尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は第2延坪(ヨンピョン)海戦勝利記念日である29日、「平和は言葉ではなく強力な力で守るもの」と明らかにした。尹大統領はこの日フェイスブックを通じ、「より強い国軍、より強い大韓民国を作り英雄の犠牲に報いたい」としてこのように明らかにした。尹大統領は「最

日本海軍が事実上壊滅した太平洋戦争マリアナ沖海戦から80年 現代に残した教訓は
2024.06.19

日本海軍が事実上壊滅した太平洋戦争マリアナ沖海戦から80年 現代に残した教訓は

80年前、1944年6月19、20の両日、日米両軍によるマリアナ沖海戦が行われた。日本海軍の空母機動部隊は、この戦いで事実上壊滅した。日本海軍は1941年12月に行われた真珠湾攻撃に劣らない大兵力を集中したが、米軍に歯が立たなかった。防衛研究所戦史研究センターの進藤裕之国際紛争史研究室長は、日

「戦力の集中」運用に背いたゆえのミッドウェー敗戦
2024.06.16

「戦力の集中」運用に背いたゆえのミッドウェー敗戦

 旧日本軍のミッドウェー海戦での敗北は、太平洋戦争の転換点であった。1942年6月5日、主力空母4隻の喪失により日本の快進撃は停止した。以降、日米はマリアナ沖海戦まで膠着状態の中での消耗戦に陥るのである。 敗因は今なお議論されている。日本の情報秘匿が失敗したことを筆頭に、作戦目標

命じておいて信号文も知らない…「無能な司令部」が語った「ミッドウェー海戦」大敗北の「責任逃れな言い訳」
2024.06.10

命じておいて信号文も知らない…「無能な司令部」が語った「ミッドウェー海戦」大敗北の「責任逃れな言い訳」

 私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である

「敵艦隊がいた!」バルチック艦隊を最初に発見した漁船の武勇伝のウラ側 「遅かりし1時間」怪しい美談の教訓
2024.05.27

「敵艦隊がいた!」バルチック艦隊を最初に発見した漁船の武勇伝のウラ側 「遅かりし1時間」怪しい美談の教訓

「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」  1905(明治38)年5月27日午前4時45分、仮装巡洋艦「信濃丸」が発信した第一報で日本海海戦は始まりました。しかし「信濃丸」から5日も前に、バルチック艦隊を発見して通報した日本の船がありました。沖縄の那覇港から宮古島に向かっていた、「

対馬に残る日本海海戦の「語り部」たち…赤さび目立つ軍艦の主砲や丘に立つ東郷平八郎揮毫の碑
2024.05.19

対馬に残る日本海海戦の「語り部」たち…赤さび目立つ軍艦の主砲や丘に立つ東郷平八郎揮毫の碑