山本篤「プロアスリートは終わっても人間としての挑戦続く、ゴルフやマラソンにも」/独占手記2

AI要約

パラ陸上男子走り幅跳び義足クラス(T63=片大腿切断)の元世界記録保持者、山本篤(42=新日本住設)が現役引退した。27日に会見を開き、さまざまな思いを語った。

スポーツの素晴らしさとは何か、なぜ障がい者にとってスポーツが必需品なのか、など山本篤の経験や考え方を紹介。

引退後の山本篤の展望や新たな挑戦への意欲が語られている。

山本篤「プロアスリートは終わっても人間としての挑戦続く、ゴルフやマラソンにも」/独占手記2

 パラ陸上男子走り幅跳び義足クラス(T63=片大腿切断)の元世界記録保持者、山本篤(42=新日本住設)が現役引退した。27日に会見を開き、自らの口でさまざまな思いを語った。「義足のジャンパー」は会見後、日刊スポーツに手記を寄せた。(※1からの続き)

 ■再び走れた時の喜び

 スポーツの素晴らしさとは何でしょうか? 私はみんなが笑顔になれることだと思います。できた時のうれしさって誰もがうれしいし、やって良かったと思える。

 私自身、高校時代に交通事故で足を失い、義足になったタイミングで走ることをあきらめなければならなかった。日常用の義足では走れなかったものが、競技用の義足を付けることで走れるようになりました。1回あきらめたものができた時の喜びってすごく大きかったです。初めて競技用の義足を付けた時のピョンピョン跳ねる感覚はすごく楽しかったです。

 義足を付けてずっとスポーツを続けてきましたが、すごく自分自身を成長させてもらえました。陸上競技はタイムと戦うのですごくシビアな世界です。ただレースは1人で戦うけど、練習は1人ではできない。人間は弱いもので、1人で練習をしていると、このぐらいでいいかなと思ってしまいます。

 ところが私には大学の仲間がいて、その仲間と一緒にトレーニングすることで、追い込む練習ができたりとか、タイムを測ったり。また、いろんな競う相手がいたり、仲間もたくさんできました。

 大学までは好きでスポーツをやっていましたが、社会に出てからはアスリートとして何をしなければいけないのか、何を目指すべきなのか、と考えました。社会人1年目の08年北京パラリンピックで銀メダルを取った時のインパクトは大きかったです。やっぱりメダルは大事なんだと、その時に自覚しました。

 ■スポーツは必需品

 私は障がい者にとってのスポーツとは、必需品だと考えています。障害を抱えた時点で全員がやらなければいけないものなのです。

 なぜかというと、障がい者になった時って、体力が落ちて社会とのつながりがなくなります。だけどスポーツをすることによって社会とのつながりがまた再構築される。さらにスポーツをすることで自分自身の体力が上がってくる。

 すべてとは言いませんが、障害を持っていてもスポーツはできます。歩いたり、車いすでもできる人はスポーツをすることで社会に出て行く体力ができます。僕もそうでした。スノーボードをしたいと思ったことをきっかけにして、社会に復帰することができました。

 ■自分の経験を伝える

 競技から退いてからの次の人生では、やりたいことがたくさんあります。これまでのスポーツイベントだけでなく、今までできなかったことができるのかなと思っています。

 まず大阪でやっている競技用義足と付けてのランニング教室「ブレードアスリートアカデミー」も毎年できる限り続けていきたいし、全国各地に義足のチームがあるので、現地に行ってイベントで一緒に走ったり、私からアドバイスしたりという形のこともできたらいいなと思っています。

 また私自身、英語をもう少ししっかり勉強しないといけないと考えています。国枝選手もそうですけど、海外に出て行っていろんな挑戦をしています。私自身、海外の選手とコミュニケーションは取れても、指導ができるかと言った時に、ボキャブラリーが少なくて厳しいと思います。

 たとえば海外の選手がインスタのDMで義足について聞いてきたりします。自分がやってきたことを包み隠さず、日本人選手だけでなく海外の選手の記録もどんどん上がるように情報を出していきたい。私自身が記録を伸ばせたのは、海外の選手と色々と情報交換したことが大きかったので、僕がいいと思うことは論理的に説明できることはしていきたい、そう考えています。

 ■障がい者と健常者

 マルクス・レームという膝下義足の走り幅跳びの選手がいます。今回、神戸で行われていたパラ陸上世界選手権にも出場していましたが、8メートル62という自己記録を持っています。それは健常者の世界記録(8メートル95)にも迫るもので、健常者の大会に出て優勝し、オリンピック出場を目指したことで出場の可否を巡り論争になったことは有名です。

 この論争を振り返った時に、障がい者は健常者に劣るものだという認識が隠されているように思います。障がい者は健常者に比べて稼げないかもしれない、実際になかなか就労もできません。障がい者を守ろうという考えがあるから、健常者を超えてはならない。人間の潜在意識の中に、そういうものがあるように感じています。色々と考えさせられるいい議論だと思いました。

 私は最終的に義足ジャンパーが世界記録を超えるような記録を出してほしいと願っています。そうなると「義足を付けたら健常者を超えられるかもしれない」という脳になると、足を切断した時にネガティブにならなくて済むんじゃないかなと思います。

 私もそうでしたが、スノーボードがしたくて「スノーボードをするためにどうしたらいいんだろう?」って思った時に、できないかもしれないと言われました。でも、たまたま見た雑誌で膝下義足のプロのスノーボーダーの記事を読みました。それを見つけたことで「僕にもできるかもしれない」と思えました。だから片足を失った人が健常者より跳んだら、もう足を切った瞬間からその人はネガティブにはならない。自分も何かやってみようって気持ちになることで、スポーツをやることで社会に復帰しやすくなると考えています。

 ■引退は悲しくない

 これまでの人生で、自分が大事な言葉は「挑戦」でした。今までずっと挑戦してきましたと自負しています。

 ここで走り幅跳びのプロアスリートとしての挑戦は終わりますが、だからと言って人間としての挑戦は続きます。新たな人生へのステップです。自分の中でもいろんな挑戦をこれからもしていきたい。1つはゴルフ。マラソンもしてみたい。引退するからって悲しくないです。むしろ、これから始まる新しい人生へのワクワクした楽しみの方が大きいです。

 20年以上も続いたパラアスリートとしての競技人生に、ここでピリオドを打ちます。私に関わり、ここまで支えてくださったみなさまへの感謝の思いを胸にスパイクを脱ぎます。

 本当にありがとうございました!

 (プロアスリート 山本篤)