大の里が名前を継いだ「相撲の神様」といわれた〝初代〟大ノ里、どんな力士だった?

AI要約

初代大ノ里の一族の天内司さんは、史上最速優勝を果たした“2代目大の里”の活躍に喜びを感じている。

初代大ノ里の人生には光と影があり、その後も世間をにぎわせることはなかったが、2代目の活躍で再び注目を浴びた。

天内さんは大の里の相撲が好きで、横綱昇進を願っており、その姿勢を称賛している。

 「相撲の神様」と称された初代大ノ里の一族の天内司さん(71)は「本当に良い人が名前を継いでくれたぁ~」と、史上最速優勝を果たした“2代目大の里”の活躍に目を細めた。

 先場所110年ぶりの新入幕Vを果たした尊富士と同じ青森県出身だが「親近感あるのはやっぱり大の里だよぉ。大きな声では言えないけどね(笑い)」と、津軽弁を交えうれしそうに笑った。

 天内さんの曽祖父の弟にあたる初代大ノ里は、身長161センチと小柄ながら真正面からぶつかっていく相撲で人気を博した。大関を7年間務めるなど順風満帆な相撲人生だったが、天内さんには「光と影があった」と映る。1932年(昭7)に関脇天竜らとともに力士たちの待遇改善を訴えた「春秋園事件」を起こしたが、その思いは実らず相撲協会を脱退。その3年後には現役を引退。38年に病に伏し帰らぬ人となった後、相撲の神様との異名を持つ男の名が世間をにぎわせることはなかった。

 死後85年。“2代目”の到来で再び脚光を浴びた。同郷の西岩親方(元関脇若の里)を通じて二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が新弟子に大の里のしこ名を付けたいと相談を受けると「初代がクローズアップされることだし、非常に良いこと思って」と了承した。同親方が稀勢の里を付けるか、大の里を付けるかどうかで迷ったことを知り期待が高まった。

 デビュー以来わが子のように見守ってきたが、何より大の里の相撲が好きだ。「仕切りの時から小細工なし。いつも真っ向勝負。親方の姿勢があるんだろうね」。初優勝をつかんだ末恐ろしい23歳に「横綱しかないだべな。横綱でも品格のある横綱になってほしい。初代を超えてほしい」と、横綱大の里誕生を願った。【平山連】

 ◆大ノ里萬助(おおのさと・まんすけ)本名・天内萬助。1892年(明25)4月1日、青森県藤崎町生まれ。1912年1月場所で初土俵。18年5月場所で新入幕。25年1月場所で新大関。32年1月の春秋園事件で相撲協会を脱退。35年に引退。優勝はなし。幕内通算成績は217勝147敗22休6分4預。38年1月22日に45歳で死去。現役時代は161センチ、97キロ。