東海大相模 原俊介監督とは何者か? 「タテジマのプライド」を継承する重責【神奈川から頂点狙う監督】

AI要約

プロ野球選手から指導者へと転身した原俊介監督の野球人生を振り返る。プロ入り後の苦難やアメリカでのトレーニングキャンプなど、選手としての葛藤や成長が描かれている。

初めての一軍登録やオープン戦での活躍、代打でのヒーローインタビューなど、原監督が打者としての道を切り拓いていく姿が描かれる。

現役引退後は指導者としての覚悟を持ち、監督として母校の野球部を率いる原監督の姿が描かれる。

東海大相模 原俊介監督とは何者か? 「タテジマのプライド」を継承する重責【神奈川から頂点狙う監督】

2024年夏、高校野球激戦区である神奈川を制したのは東海大相模!

チームを率いるのは、2021年9月に就任した原俊介監督。5月13日に発売された『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)より、東海大相模 原俊介監督の頁から一部抜粋で公開する。原監督の目指す野球とは──。

●緊張で足が震えたプロ初打席で初ヒット

 高校時代は強肩強打のキャッチャーとして注目を集め、1995年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けた。当時、東海大相模から高卒1位でのプロ入りは初。周囲からの期待も、自分への期待も大きかったが、1年目の春季キャンプで圧倒的な力の差を感じた。

「えらい世界に来たな……と思いましたね。打つのも投げるのもレベルが違いすぎる。斎藤雅樹さんの球をブルペンで受ける機会があったんですが、スライダーがミットにかすりもせず、『お前、大丈夫か?』と心配されるほどでした。どうすれば、この世界で生き残れるのか。練習量だけでは追いつけない。答えはわかりませんでした」

 必死に練習をして、ファームの中軸を任されるまでになったが、一軍の壁は厚かった。ファーストや外野も守り、出場機会を求めた。7年間一軍出場はなし。戦力外通告がちらつき始めた中、7年目のシーズンオフに単身でアメリカに渡り、フロリダ州にあるIMGアカデミーのトレーニングキャンプに参加した。今でこそ、アメリカでトレーニングをするのは珍しいことではないが、当時は稀。およそ3週間にも渡る武者修行だった。

「自分を変えなければいけない。勝負をかけなければいけない。その一心でした。はじめは通訳もいたんですけど、途中からは全部ひとり。朝から動き作りのプログラムがあって、みっちりトレーニングをやった結果、足がよく動くようになり、明らかに速くなったのがわかりました。バッティングをやると、今まで入らなかった右中間にもホームランが出る。体の動かし方が変わったことで、神経の伝達が良くなり、パフォーマンスが上がった。フィジカルによって、テクニカルが変わる。自分の野球人生を180度変えてくれた体験でした」

「もっと早く渡米していれば……」という気持ちも少なからずあったが、「それもまた人生」と受け入れている。

 手応えを持って迎えた8年目の2003年。オープン戦で結果を残して、初めて一軍登録を果たすと、開幕2戦目の7回裏に代打で打席が回ってきた。マウンドには中日の左腕・久本祐一。簡単にツーストライクと追い込まれたところで、自らタイムを取り打席を外した。

「一軍初打席で、満員の東京ドーム。緊張で足が震えて、まったくバットが振れなかったんです。タイムを取って、『おれは何をやってんだ。お前は何のために今まで野球をやってきたんだ!』と自分に言い聞かせました。次はボールが見えたら、とにかく振る。めちゃくちゃ詰まったんですけど、いい感じにインサイドアウトでバットが出て、ライト前へのタイムリー。あのヒットがなければ、次もありませんでした。プロで一番印象に残っている打席です」

 翌日も代打で登場。中日の野口茂樹から東京ドームの看板に直撃するプロ初アーチを放ち、高校の大先輩である原辰徳監督から、「お前の野球人生は始まったばかりだ」と記されたホームランボールを受け取った。今も、実家に大切に飾ってある。

 この年は40試合に出場し、打率.267、3本塁打、8打点の成績。翌年以降のさらなる飛躍に期待がかかったが、チャンスをモノにすることができず、11年目の2006年に戦力外通告を受けた。うまくいったことよりも、うまくいかなかった経験のほうが圧倒的に多い。しかし、指導者になった今はそれが大きな財産になっている。

「現役時代の終盤は、『ここで打てなければファームに落ちる』とか『今シーズンで終わるかもしれない』という、焦りやネガティブな感情が先行していました。チームのことではなく、自分のことしか考えていない。それが指導者になると、ノーアウト二塁からのセカンドゴロが戦況を変える大きな意味を持つことがわかるようになって、現役時代もそこまで考えられれば良かったんですけどね。代打で出ることも多かったので、強い打球を打つことばかり頭にありました。無死一塁の代打で、初球の変化球を引っかけてのゲッツーなんて、ベンチからすれば最悪ですけど、自分のことが第一にあるのでそれをやってしまう。もっと気持ちに余裕があれば、ライト方向を狙って、うまくいけば一、三塁を作ることもできたと思うんですが……、終わってからの反省がたくさんあります」

「巨人ドラフト1位」の肩書きだけ見ると、エリートにも感じるが、本人の中には「選手としてはうまくいかなかった」という気持ちのほうが強く残っている。

▼原俊介(はら・しゅんすけ)

1977年8月30日生まれ。神奈川県秦野市出身。東海大相模―巨人。高校時代はキャッチャーで活躍。3年春にセンバツに出場するも、夏は5回戦で横浜に敗れる。1996年、ドラフト1位で巨人に入団後、2003年にプロ初打席初ヒットをマーク。2006年に現役引退後、早稲田大で教員免許を取得し、2016年から東海大静岡翔洋の監督に就任。2021年9月から母校・東海大相模の指揮を執る。