「涙する姿は痛々しかった…」松山英樹“笑顔の銅メダル”と対照的だった山下美夢の初五輪…4年後は男女混合団体戦も?「メダルのチャンス増える」

AI要約

松山英樹がパリ五輪で銅メダルを獲得し、山下美夢有はメダルを逃すものの悔しさを露わにした。

松山は冷静な判断力と精神力でメダル獲得を果たし、笑顔を輝かせた。

ゴルフファンは松山と山下の健闘を称賛し、彼らの努力を讃えている。

「涙する姿は痛々しかった…」松山英樹“笑顔の銅メダル”と対照的だった山下美夢の初五輪…4年後は男女混合団体戦も?「メダルのチャンス増える」

 パリ五輪の男子ゴルフは、松山英樹が銅メダルを獲得し、日本のゴルフファンを狂喜させた。一方、女子ゴルフでは、山下美夢有が最終日に一時は首位に並び、金メダルに迫ったが、最終的には4位タイに終わり、メダル獲得はならなかった。

 日ごろは表情が硬い松山が珍しく笑顔を輝かせたのに対し、JLPGAの小林浩美会長の腕の中で号泣した山下の姿は痛々しかった。

 日ごろはスコアや順位より、プレーの内容やショットの手ごたえを重視することが多い松山が、パリ五輪では「内容はどうでもいい」と言い放ち、是が非でも3位までに入ることを目指し、そして彼は銅メダリストになった。しかし、メダルを逃した山下は「やっぱりメダルを獲らないと」と、自身の結果を何より悔やんだ。

 そう、メダルを手にした松山の大健闘は誰もが認めるものだった。だが、「山下はメダルが獲れなかったから大健闘ではなかった」などと言うゴルフファンが、いるはずはない。

 日本のゴルファー、日本の人々は「松山は、よくやった。山下も、よく頑張った」と、心の底から讃えているはずである。

 今思えば、松山と五輪ゴルフの縁は、最初はきわめて希薄だった。2016年リオ五輪でゴルフが112年ぶりに五輪競技として復活することが決まったとき、彼はこう言った。

「小さいころからメジャーで勝つことを目指してゴルフをしてきたので、突然、五輪でメダルを目指せと言われてもピンと来ない」

 当時は現地ブラジルの治安悪化が激しくなり、ジカ熱なるものも蔓延していた。そんな事情を重く見たPGAツアーのトッププレーヤーの多くが、次々に出場を辞退した。そして松山も、出場資格を有していながら、リオ五輪には出ないという苦渋の決断を下した。

 しかし、次なる東京五輪は母国開催ゆえに、彼は迷わず出場した。だが、馴染み深い霞ヶ関カンツリー倶楽部が舞台だったにもかかわらず、7人によるプレーオフを勝ち抜くことができず、銅メダルを獲りそこなった悔しさが、彼の心に火をつけた。

 そんな経緯があったからこそ、パリ五輪に臨んだ松山は「内容はどうでもいい」とまで言い放ったのだ。

 しかし、どうしても手に入れたいと思うものは、追いかけすぎると逃げていく。マスターズ覇者で百戦錬磨の松山は「押し」と「引き」の絶妙な塩梅が求められることをよく知っていたはずである。

 だからこそ、パリ五輪で見せた彼の戦いぶりは、メダルに手を伸ばして掴み取ろうとするのではなく、淡々とプレーして着実にスコアを積み上げ、静かにメダルににじり寄るようなゴルフだった。

 初日から首位発進した松山は、しかし2日目の18番では池に落としてダブルボギー。3日目はパットに苦しみ、4位タイへ後退。松山はメダルから遠のいたかに見られていた。

 しかし、最終日は首位を走っていたジョン・ラームやザンダー・シャウフェレ、猛チャージをかけてきたローリー・マキロイらが、ラフや池に苦しんで自滅する波乱があった。

 その中で、ボギーを1つも叩かなかった米国のスコッティ・シェフラーが通算19アンダーで金メダルを獲得。1つボギーを喫したら2倍3倍のバーディーを奪っていった英国のトミー・フリートウッドが通算18アンダーで銀メダルを手に入れた。

 そして、シェフラー同様、ボギーフリーで回った松山が、通算17アンダーとして、東京五輪で獲り損なった銅メダルを手に入れ、雪辱を果たした。

 小さなピンチには何度か見舞われた松山だが、この日の彼にはラック(幸運)もあった。そして何より、冷静な判断力と実行力、何にも動じない精神力があったからこそ、ピンチをチャンスに変えることができた。

 攻撃的なゴルフではなく、着実に前進し続ける静かな攻めで、彼はメダルを手に入れ、明るい笑顔を輝かせた。