早実9年ぶり甲子園の陰に「ダルビッシュや千賀とも交流」米独立リーグ出身“ナゾの外部コーチ”の存在が…「木製バットのスラッガー」にも注目

AI要約

内田聖人は早実の外部コーチとして感慨深い気持ちを語る。

早実のエースだった経歴を持つ内田は、若手選手の成長に喜びを感じている。

左腕エースの中村心大について、内田は将来性を期待している。

早実9年ぶり甲子園の陰に「ダルビッシュや千賀とも交流」米独立リーグ出身“ナゾの外部コーチ”の存在が…「木製バットのスラッガー」にも注目

「今の仕事を2019年に始めて、くいっぱぐれないように、お声をかけてくれたのが(和泉実)監督さんでしたし、もちろん、母校でもある。ゲームセットの瞬間、こんなに感激する時があるのか、というぐらい嬉しかったです」

 今年で30歳になる内田聖人がしみじみとそう、話す。

 早稲田実(以下早実)の外部コーチとして週に2回、グラウンドで高校生と汗を流してきた。

 自身も早実のエースだった。2年生の夏、甲子園のマウンドで投げている。翌2011年は西東京大会の決勝で日大三の吉永健太朗と投げ合って、9回2対1で惜敗。日大三はそのまま甲子園で優勝を果たした。

 早実と日大三が西東京大会の決勝で対戦するのはその時以来で、感慨もひとしおだったようだ。

 内田は早大、JX-ENEOS、アメリカの独立リーグ球団を経て、独自にピッチング理論を追求し現在、ダルビッシュ(パドレス)や千賀滉大(メッツ)などとも自身が運営するウェブサロンで交流しながらピッチング専門のコーチをしている。

 選手の苦労や成長を身近に感じ、「期待に応えてくれた」と先輩として喜ぶ。

 準々決勝の国学院久我山戦は9点リードを追いつかれたり、決勝も10対9という乱打戦になった。軸になるエースが不在で投手陣のやりくりが大変だったことは否めない。

 背番号1を付けたのは、左の2年生エースの中村心大だった。

 京都出身で現早大3年の田和廉の4年後輩になる。最速145キロのストレートに変化球はスライダー、カットボール、フォーク、カーブを投げる。

 昨年の夏も秋も登板したが、今年の春にケガをして調整が遅れた。それでも「初戦の明大八王子の試合で中村が好投して踏ん張ったので接戦に持ち込めて勝てた」と内田は褒める。

 しかし国学院久我山戦は雨による中断もあったが、四死球を連発するなど大量失点。日大三高との決勝もKOされた。それでも「中村は力はある」と期待する。

「元気な時は常時140キロ出ますし、東京を代表する左腕になる素材。いい兆しが見えていて、三振を取るのはストレートでしたが、変化球をもっと生かそうと。準決でスライダーとフォークを使いだして、決勝で三振の取れるところでフォークを使うといっていて、そのとおり2個、フォークで三振を取ってる。スライダーも強さのある新しいバージョンを増やしました」

 中村の感心するところは誰よりも練習する選手で、ストップをかけないといつまでもやり続けるところだという。

「決勝戦(日曜日)の夜、ラインが来たんです。『ボールに力がなかったですかね』って」