親友が突然がんを宣告され…「北口(榛花)さんを見ると森ちゃんを思い出す」池田久美子が語る、26歳で他界した砲丸投げ・森千夏との約束

AI要約

20年前のアテネ五輪で活躍した女子砲丸投げの森千夏さんが、遺された記録と功績を振り返る

若くして世を去った森さんが、砲丸投げ界に残した足跡と抱えた夢に焦点を当てる

親友による語られる、森さんの明るい笑顔と闘志に満ちた姿が浮かび上がる

親友が突然がんを宣告され…「北口(榛花)さんを見ると森ちゃんを思い出す」池田久美子が語る、26歳で他界した砲丸投げ・森千夏との約束

 女子やり投げ・北口榛花(26歳)の台頭で注目が集まる投てき界で活躍が期待された一人の選手がいた。女子砲丸投げで、今も破られることのない「18m22」という日本記録を残した森千夏さんだ。20年前のアテネ五輪では同種目の日本勢としては40年ぶりの出場を果たし、歴史にその名を刻んだ。だが、誰もがさらなる飛躍を確信していた2006年、森さんは26歳の若さでこの世を去った。現在の陸上界にもつながる功績を改めて振り返る。【NumberWebノンフィクション全2回の1回目】

 熱狂が続くパリ五輪もいよいよ終盤に差し掛かった。8月1日から陸上競技も始まり、フランス最大のスタジアム、スタッド・ド・フランスでは日々熱い戦いが繰り広げられている。

 10日にはいよいよ昨年の世界選手権覇者、女子やり投げの北口榛花が金メダルに挑む。

 投てき界のエースが新たな歴史の1ページを紡ごうとする今からちょうど20年前。北口と同じ投てき種目でアテネ五輪に挑んだのが、女子砲丸投げの森千夏さんだった。女子砲丸投げでは日本勢40年ぶりとなる五輪出場を果たした彼女は、2000年に初めて日本記録を樹立して以来、7度も自身の記録を更新した。

 日本女子が世界に太刀打ちできなかった投てき種目で、当時、ただ一人高いレベルの記録を出していた。世界には及ばなかったものの、20mの大台を視野に入れ、1cmでも遠くに投げるための努力を惜しまなかった。

 北口がダヴィッド・セケラック氏から指導を仰ぐためにチェコに渡ったように、森さんも誰よりも強くなりたい一心で、当時ではめずらしかった海外挑戦を選択。砲丸投げの強豪・中国に何度も渡り、現地のコーチから指導を受けていた。

 親友で走り幅跳びの元日本記録保持者、井村(旧姓池田)久美子さんが振り返る。

「北口さんを見ていると、いつも“森ちゃん”みたいだなって思うんですよ。ニコニコした笑顔も雰囲気もすごく似ているし。きっと彼女のあの笑顔の裏では大変なこともあったはず。それでも前を向いて進んでいるのは一緒だなって」

 2008年北京五輪では必ず入賞し、さらにその4年後には金メダルを獲る――そんな青写真を描いていた矢先、2006年8月9日、森さんは虫垂がんのため26歳という若さで亡くなった。

 東京都江戸川区で生まれ育った森さんは、中学時代から砲丸投げを始め、2年生のときには全国大会にも出場。陸上の名門・東京高校では3年時にインターハイを制すなど頭角を現した。国士舘大学時代には、アジア選手権準優勝や日本選手権で優勝するなど、将来を嘱望されていた。大学2年の2000年には16m43で初めて日本新記録をマーク。7年ぶりの記録更新だった。

「本当に“砲丸命”という言葉がしっくりくるくらい、100%、砲丸に懸けていたし、砲丸愛に溢れていました」

 井村さんは、森さんとの思い出を懐かしそうに語り出した。

「出会いは中学3年の時に出場した大会の宿泊先でした。お風呂の脱衣所で突然、『私、森っていうんですけど、池田さんですよね?  会えて光栄です』と声をかけられて。よく話すようになったのは大学生になってからかな。中国の大会で一緒になってから、一気に打ち解けて話をするようになったんです」