【フェンシング】江村美咲の快挙支えた”第2の母”樫木裕実さん「ホッと」個人敗退後に遠隔修正

AI要約

日本女子サーブル団体が初めて銅メダルを獲得した

江村美咲選手を支える樫木裕実さんとの関係

美咲選手の活躍と団体戦でのメダル獲得について

<パリオリンピック(五輪):フェンシング>◇3日(日本時間4日)◇女子サーブル団体◇3位決定戦◇グランパレ

 【パリ=木下淳】日本フェンシング界に、ついに3種目のメダルがそろった。世界ランキング8位の日本が同1位の開催国フランスを45-40で破り、初めて銅メダルを獲得した。フルーレ、エペに後れを取ってきた種目だが、この競技が52年ヘルシンキ大会で五輪に初参加してから72年。「サーブル初」を、世界選手権「個人初」2連覇の江村美咲(25=立飛ホールディングス)を中心に達成した。

 個人敗退から立ち直った江村が「第2のお母さん」と慕う存在が、カーヴィーダンス考案者の樫木裕実さん(61)だ。6年前から週1回。今回は出国前のトレーニング、パリ近郊での事前合宿、そして直近、個人戦3回戦でまさかの敗退に落ち込んだ後の選手村で計2回、オンラインで指導して、快挙を支えた。

 ずっと寄り添い、獲得を願ってきた初メダルに、樫木さんは「美咲の心の葛藤や不安な気持ちを遠い日本で見守ることは…きつかった。心臓がえぐられるような気持ち。ホッとしました」と安堵(あんど)した。

 江村が19歳の頃、腰椎分離症だった17年11月から指導する。「完治は難しい」とされた患部を地道に補強し、深層筋肉も鍛え、江村から「フェンシングの構えが、猫背だった前傾スタイルから改善され、柔らかく動けるようになった」と感謝された。

 硬かった足首、アキレス腱(けん)や股関節の加動域も広がった。深く大きく踏み込む代名詞の技「ロングアタック」の生命線だ。

 世界選手権2連覇はもちろん、今回も選手村の一室を借り、個人戦の敗退から中4日で修正。zoomでトレーニングし「『団体戦も同じように体が動かなかったら、どうしよう』と不安そうだったので、リフレッシュした方がいいと伝えました」。最後のメダル獲得チャンスへ、体を調律するだけでなく心も整えた。

 プライベートも相談に乗り、あまりにも心の内を引き出す信頼感のあまり、都内のスタジオで号泣された日もあった。

 江村は「インスタに書く文面を下書きしないと気が済まない私に、そんなの『ありがとうございました!』だけでいいのよ! と言ってくださって。救われました。元気をもらっています」とも明かす。繊細な彼女に、ずぶとさを求め、気楽にも育ててきた“母”だった。

 実の母孝枝さんからも驚かれる関係性で、ずっと見守ってきた樫木さん。最初は孝枝さんがレッスン生だったが、その質の高さを確信し、美咲を紹介した。今では深夜のLINE応酬が日課。海外の大会を転戦する美咲の試合を2人の“ママ”がチェックしている。

 個人戦で結果が出なかった時は心が張り裂けそうになったが、樫木さんは、心から安心した。「日本選手団の旗手、優勝候補という重圧を乗り越えての、最後の団体戦でのメダル獲得。不安や葛藤を乗り越えた過程を考えれば、私の中で金メダルに匹敵する勲章」と“娘”の復調を喜んだ。帰国したら、必ず美咲は“母”にメダルをかけにいく。