【フェンシング】男子フルーレ団体、金メダル!太田雄貴「銀」超え最強日本「金2銀1銅2」締め

AI要約

日本が男子フルーレ団体で五輪金メダルを獲得。世界ランキング1位の日本がイタリアを破り、初の五輪覇者に輝く。

過去2度の銀メダルを持つ日本が、ついに最高の輝きを手に入れた。団体戦では緊迫の展開が続き、個々の選手が果敢な戦いを繰り広げた。

日本のフェンシングチームは、男女を通じて計6種目で日本の団体史上初の優勝を果たし、五輪において5個のメダルを獲得した。

【フェンシング】男子フルーレ団体、金メダル!太田雄貴「銀」超え最強日本「金2銀1銅2」締め

<パリオリンピック(五輪):フェンシング>◇4日(日本時間5日)◇男子フルーレ団体◇決勝◇グランパレ

 【パリ=木下淳】金メダル締めだ。快進撃フェンシング日本の大トリは“お家芸”だった。男子フルーレ団体の世界ランキング1位、日本が初の五輪覇者になった。松山恭助(27=JTB)飯村一輝(20=慶応大)敷根崇裕(26)永野雄大(25=ともにネクサス)が、世界2位のイタリアに勝利。過去2度の表彰台は銀だった伝統種目フルーレが、ついに最高の輝きに包まれた。

 3分間×9試合で45点先取の団体戦。第1試合の敷根、第2試合の飯村、第3試合の松山まで終えて15-14でリード。一転、第4の敷根、第5の松山で23-25と逆転されたが、第6試合で飯村が1人で7-3と爆発。30-28とひっくり返した。

 ラスト3試合。第7は松山で35-34とし、リザーブから昇格した永野が奮戦する。緊張する初登場で5-0の完璧なゲームを演じた。

 最終の第9は飯村が締め、オリンピックを制した。

 昨年の世界選手権で金メダル。男女の計6種目を通じて日本の団体史上初となる優勝を遂げた。1年後のパリ五輪まで世界ランク1位を守り、優勝候補として発祥国へ乗り込み、前評判通りに勝ち切ったのは真の実力だ。準決勝も地元フランスに45-37で逆転勝ちしていた。

 男子フルーレは08年北京五輪の個人で太田雄貴が日本1個目の銀メダル。12年ロンドン大会で団体(太田雄貴、千田健太、淡路卓、三宅諒)が銀メダルに輝いた。しかし、金はなし。第1次の黄金期でも届かなかった頂だった。

 それを上回る最強世代だ。主将の松山は22年のW杯で日本勢12年ぶりの優勝を遂げ、昨年の世界選手権で3位。敷根は前回21年の東京五輪4強だ。飯村は22年の世界ジュニア選手権を制し、今大会は個人4位。惜しくもメダルには届かずも、団体で躍動。父栄彦さんは太田の現役時代のコーチという“2世”が、本家を超越した。

 全体としても5個のメダルを量産した。日本が五輪に初参加した1952年ヘルシンキ大会から72年。レジェンド太田が「今や(メダル)常連国」と言い、青木雄介監督が「史上最強」を自負するJAPANは、過去に1度たりともなかった1大会の複数メダルを、達成どころか5まで増やした。出場した団体4種目は全てメダル逃さなかった。

 男子エペで加納虹輝(JAL)が「個人初」の金、団体で「連続初」の銀。女子フルーレ団体は「女子初」の銅メダルを手にした。さらに前日、フェンシングの3種目で唯一、メダルがなかったサーブルの女子団体が「種目初」。世界選手権2連覇のエース江村美咲(立飛ホールディングス)が意地の復調を見せた。

 最後が本命の男子フルーレ団体。1900年パリ万博の主会場となった聖地グランパレで、日本が

 ◆フルーレ ポイントが入る有効面は、手足を除く胴体両面および頭部。突きだけ有効で、先に手を伸ばした方が攻撃権を持つなどのルールもあり、細かい手先の技術が必要となる。他にエペ、サーブルと計3種目あり、日本ではフルーレが“お家芸”と呼ばれた。団体は1チーム3人(補欠1人)編成で1試合3分の総当たり9ゲーム制。45点を先取か、終了時に得点の多いチームの勝利となる。