大迫敬介に緊急提言「GKとCBは取り替え式を履け」(2)天才プスカシュ率いる世界最強チームを撃破した「天の恵み」と「スタッド革命」

AI要約

サッカーシューズの進化と革命について。かつては固定式のスタッドや桟形状のスタッドが存在したが、アディダスのスクリューインスタッドが登場し、革新をもたらした。

1954年のワールドカップ決勝で西ドイツが雨の中でハンガリーを破り、ベルンの奇跡と呼ばれる逆転劇が起きた。

雨に打たれたグラウンドでスクリューインスタッドが有利であり、西ドイツが大会初優勝を果たした。

大迫敬介に緊急提言「GKとCBは取り替え式を履け」(2)天才プスカシュ率いる世界最強チームを撃破した「天の恵み」と「スタッド革命」

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは、クツ底のあいつ。

 このような「打ち付け型」のスタッドのほかに、1960年代にはクツ底とスタッドを強化ゴムやプラスティックなどで一体成型した「固定式」のサッカーシューズも一般的になっていた。こうしたシューズは、当時は「ゴム底」と呼ばれた。サッカーシューズのスタッドといえば、前に4個、後ろに2個という「6本ポイント」が基本だったが、スタッドを取り替えることができない固定式シューズは摩耗を防ぐために12本から15本のスタッドが付けられ、当然のことながら足への負担も減って、固いグラウンドではとくに重宝された。

 ある時代までは、「桟(さん)=英語ではbar」という形状のものも、ルールに書かれていた。クツ底に「下駄の歯」のような「横棒」をつけるのである。1960年代にはこうした形状のスタッドをもつシューズは市場から消えていたが、ルール上では1990年まで存在した。

 現在のルールにはスタッドの形状や大きさ、あるいは長さに関する規定はない。「競技者は危険な用具、もしくはその他のものを用いる、または身につけてはならない」(第4条)とあるだけである。そのため、試合前、あるいは交代選手がピッチに入る前にクツ底のチェックがある。

 さて、1954年、サッカーシューズのスタッドに大革命が起こる。「アディダス」の創業者であるアディ・ダスラーが、ねじ込み式のスタッドを開発したのだ。スタッドをクギで打ちつける形でなく、クツ底に「雌ネジ」を埋め込んでおき、そこに「雄ネジ」をつけたスタッドを取りつけるというものである。スタッドを1本につき数本のクギで固定していく作業はかなり時間がかかるが、「スクリューインスタッド」と呼ばれたこの方式だと、あっという間に取り替えることができる。

 スイスのベルンで行われた1954年ワールドカップ決勝戦は雨だった。

 対戦は西ドイツ対ハンガリー。ハンガリーは天才フェレンツ・プスカシュを擁する当時の世界最強チーム。ウェンブリーでイングランドを6-3で叩きのめす(ウェンブリーにおけるイングランド代表の初の敗戦だった)など、1950年から丸4年間無敗を誇る「マジック・マジャール」である。

 両チームはこの大会のグループステージでも対戦し、ハンガリーが8-3という欧州の大国同士の対戦としては信じ難いスコアで勝っていた。西ドイツの名将ゼップ・ヘルベルガーにとって、「雨」こそ無敵のハンガリーを倒す天の恵みだった。

「あれを使おう」

 ピッチの状態を見極めると、用具係というわけでもなかったが、チームのシューズの面倒を見てくれていた友人のアディ・ダスラーにヘルベルガーはこう言った。

 アディは即座に全選手のシューズのスタッドの付け替え作業を始めた。通常のグラウンドで使っていた高さ10ミリのスタッドを取り外し、当時のルールで許されていた最大の高さである19ミリのスタッドを装着したのである。片方のシューズに6本、1足12本、全22選手のシューズのスタッドを取り替えると264本もの交換だったが、アシスタントを使ってあっという間に完了した。

 雨は降り続いた。ピッチは非常にゆるくなっていた。しかし「打ちつけ式」のスタッドでは、長いものに替える時間もなく、ハンガリーはそのグラウンドに足をとられた。その一方で、「スクリューイン」の長いスタッドをつけた西ドイツの選手たちの足は、軟弱なグラウンドをしっかりとつかみ、0-2から大逆転、3-2で初優勝を飾った。「ベルンの奇跡」である。