【名馬列伝】ライアン、マックイーンの同牧場同期に劣らぬ個性派メジロパーマー。障害入り試みるも、訪れた“相思相愛”ジョッキーと運命の出会い<前編>

AI要約

メジロパーマーは、メジロ牧場生産の個性派競走馬で、父はメジロイーグル、母はメジロファンタジーという経歴を持つ。

メジロイーグルは欧州で活躍し、逃げ切り勝ちが特徴だった。一方、メジロファンタジーは米国から日本に輸入された牝馬で、名牝系の一翼を担う。

メジロパーマーはグランドスラムを達成した米プロゴルファー、アーノルド・パーマーにちなんで名付けられた。同期にはメジロライアンやメジロマックイーンもいた。

【名馬列伝】ライアン、マックイーンの同牧場同期に劣らぬ個性派メジロパーマー。障害入り試みるも、訪れた“相思相愛”ジョッキーと運命の出会い<前編>

 某誌編集部で仕事をしていたころ、筆者のニックネームを呼び、「パーマーさん、平地に戻るみたいだよ。何だかなぁ」と笑いながら話しかけてきた先輩編集者の嬉しそうな様子を覚えている。彼は個性的な逃げ馬を見逃さない特殊なセンサーの持ち主で、早くからツインターボやダイタクヘリオスを激推ししていた一種の「逃げ馬マニア」である。なかでも名門メジロ牧場の出身で、平地の重賞勝ちという実績を持ちながら障害入りした超個性派のメジロパーマーは、かなりのお気に入りだった。そして”パーマーさん”の走りっぷりを見て、当然筆者もすぐさま虜になった。

 メジロパーマーは、父がメジロイーグル、母がメジロファンタジー(父ゲイメセン)という名前からも分かるように、メジロ牧場のホームブレッド=自家生産馬だった。

 父のメジロイーグルは、仏ダービーやパリ大賞など仏G1を勝って1960年の欧州年度代表馬に輝き、種牡馬入り後は1966年の英愛リーディングサイアーとなったシャーロッツヴィル(Charlottesville)の産駒で、目黒記念(秋)を勝ったメジロサンマン(本桐牧場生産の持込馬)の仔。興味深いのはメジロイーグルの勝ち鞍はすべて逃げ切りだったことだ。

 一方、母のメジロファンタジーは米国産で主にフランスで教祖生活を送った牝馬ノーラック(No Luck)とその産駒(日本で種牡馬となって成功したモガミも含まれる)をシンボリ牧場の和田共弘とメジロ牧場の北野豊吉が共同所有し、日本に輸入したことに端を発する牝馬へとさかのぼる。ノーラックの四代母には世界的に名牝のラトロワンヌ(La Troienn)がおり、活躍馬を多数送り出す一大名牝系を形成している。

 メジロパーマーが生まれたのは1987年のこと。当時のメジロ牧場の産駒には年ごとに決められたテーマに沿って名前が付けられる習慣があった。1987年産の馬には「米国のヒーロー」「米国の有名アスリート」というテーマが採用され、メジロパーマーはグランドスラムを達成した米人気プロゴルファー、アーノルド・パーマーから付けられた。そして同期には、米メジャーリーグの奪三振王ノーラン・ライアンから付けられたメジロライアン、また『大脱走』などで知られる米屈指の人気俳優スティーブ・マックイーンから付けられたメジロマックイーンがいた。