ソウルで出会った「7つの顔」を持つ女(1)「忘れられない」18歳のC・ロナウドと「飲ませ上手」なマドンナ留学生

AI要約

後藤健生は世界中のサッカー関係者と知己があり、再会もまた楽しみである。

サッカー取材を通じて有名な人物や面白い話を聞くことができる。

通訳として知り合った朴さんは方向音痴だったが、一緒に仕事をするうちに仲良くなった。

ソウルで出会った「7つの顔」を持つ女(1)「忘れられない」18歳のC・ロナウドと「飲ませ上手」なマドンナ留学生

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中に知己( 知り合い、知人、親友の意味も)を持つ。その再会もまた、サッカー取材の楽しみのひとつである。しかも再会した人物が、会うたびに変化していくとなれば、また楽しみも増すというものだ。

 サッカーを追って世界を旅行していると、もちろん、多くのサッカー関係者と出会います。まだ、それほど有名ではなかった18歳のクリスティアーノ・ロナウドとか、後にアルゼンチン共和国大統領になる(当時はボカ・ジュニアーズ会長)マウリシオ・マクリといった人物にインタビューしたのも良き思い出です。

 日本国内でも、長沼健元日本サッカー協会会長(故人)を初め、数多くのサッカー関係者に本当に面白い話をたくさん聞かせていただきました。

 当然ですが、「サッカー関係者ではない人」にも出会います。

 1990年代には、僕は韓国にしょっちゅう行っていました。日本との試合の取材もありましたし、Jリーグ開幕直後には韓国のKリーグを取材したこともありました。

 1990年のKリーグの開幕節を取材に行ったことがあります。済州(チェジュ)市のスタジアムに6チームが集まって、なんと12時から連続で3試合が行われました。前の試合が終わると10分後には次の試合が行われるという。怒涛の開幕節でした。

 日韓両国が激しい競争を繰り広げていた、2002年ワールドカップ招致に関する取材もありました。

 ですから、当時は韓国協会やKリーグ事務局に顔見知りが何人もいて、ソウルに着くと、まずKFA(韓国サッカー協会)ビルの各フロアを回って、「アンニョンハシムニカ、また来ました。よろしく」とあいさつに回ったりしたものです。

 あるとき、関係者のインタビューをするので通訳を探していたら、知人が朴さん(仮名)という男性を紹介してくれました。

 大学を出たばかりの会社員で、サッカーは素人なのですが、それは問題ではありません。むしろ、中途半端なサッカー知識を持っていると、通訳をしながら自分の意見を差しはさむことがあるので、むしろ素人のほうがよいのです。

 とにかく、その後、朴さんとは2、3回一緒に仕事をしました。

 通訳としては問題なかったのですが、彼はとんでもない方向音痴で、ソウル生まれだというのに、ソウル市内でもしょっちゅう道を間違えます。最初は僕も遠慮していたのですが、最終的には僕が道案内役となり、朴さんも「後藤さん、詳しいですね」とか言いながら、素直についてくるようになりました。