元木村山の岩友親方葬儀に約200人弔問、元栃ノ心ゴルガゼ氏「どんな時も笑顔の人だった」

AI要約

前頭木村山の岩友親方が若くして亡くなり、東京で葬儀が行われた。

岩友親方は相撲の強豪であり、引退後も指導に力を入れ、大相撲の普及に貢献した。

親方や関係者、友人たちが岩友親方の急逝に驚きと悲しみを示し、その人柄を偲んだ。

 6日に42歳の若さで死去した元前頭木村山の岩友親方(春日野=本名・木村守、和歌山県御坊市出身)の葬儀が11日、東京・墨田区の春日野部屋で営まれた。

 前日の通夜から、本場所を控える名古屋から帰京していた部屋の親方衆や力士、一門の親方衆のほか、親交のあった中村親方(元関脇嘉風)、元関脇のタレント豊ノ島ら約200人が弔問に訪れた。

 岩友親方は相撲の強豪、箕島高から東洋大に進み、春日野部屋に入門。04年春場所で初土俵を踏んだ。08年初場所で新十両、同年名古屋場所で新入幕を果たした。幕内在位は16場所で、最高位は10年九州場所の西前頭7枚目。14年初場所限りで現役を引退した。

 引退後は部屋付き親方として、後進の指導にあたり、名古屋場所担当も長く務めていた。また、日本相撲協会の公式ユーチューブでの発信力などで、大相撲の普及に大きく寄与した。

 部屋での葬儀は遺族の意思もくみとってのもので、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)も「部屋から送り出す形をとれたのは良かった。暑い中、たくさんの方に来てもらえて(岩友親方の)交友関係の広さも出ていた」と話した。部屋付き親方として「指導は厳しかった」と振り返り「残った者で一生懸命、頑張ってやりたい」と続けた。

 同部屋OBで、元大関・栃ノ心のレヴァニ・ゴルガゼ氏も前日の通夜に続き訪れ、故人を見送った。兄弟子である岩友親方とは、新十両に同時昇進した仲。同じ釜の飯を食った良きライバルだった友の急逝に、痛めた胸の内を明かした。

 ゴルガゼ氏 誰も(死ぬなどと)思わなかったでしょう。調子が良くなってるっていうから、そのうち退院するんじゃないかと思っていた。夏場所の4日目か5日目でしょう?(入院したのは)。

 相撲取りは(現役を)やめても相撲取り。食べるし飲むしね。みんな(健康のことを)気にしないから。気持ちは相撲取りのまま。

 木村山さんは何に対しても「大丈夫、大丈夫」って言う人。すごい、つらい時でも「大丈夫、大丈夫」って、誰に対しても、それぐらいの気持ちでいた人。(自分が)つらい時も冗談を言って、どんな時も笑顔で笑いながらの人だった。

 仲良く出来たし、新十両も一緒に上がったし。若かったなぁ。一人のライバルでもあって、部屋で誰が先に関取になるかって、その気持ちでやっていた。調子が悪くても自分から胸を出してくれて、本当にいい兄弟子でした。すごい空気を読む人でもあったしね。本当に残念。人生、そんなに長くないんだから。(でも)子どものためとか、長生きしないとね。