【菊地敏幸連載#1】1993年、阪神球団第1号の逆指名選手…藪恵壹との出会い

AI要約

菊地敏幸氏が26年間務めた阪神スカウトのエピソードについて語られる。逆指名制度が導入され、藪恵壹の入団が成功した経緯や当時の状況が明かされる。

藪恵壹の才能を発見し、東京経済大でのプレーを見て即座に注目。そのルックスやパフォーマンスに魅了され、新人王獲得に至る過程が描かれる。

藪恵壹の入団に至るまでの経緯やスカウトの視点からのエピソードが語られ、当時のドラフト制度の変革やスカウト業務の重要性が浮かび上がる。

【菊地敏幸連載#1】1993年、阪神球団第1号の逆指名選手…藪恵壹との出会い

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(1)】現行制度では全てのプロ野球選手がドラフト会議を経てNPBの門をくぐる。そのため、最も重要な役割を担うのがスカウトだ。人気球団の阪神で1989年から2014年までの26年間にわたりスカウトを務めた菊地敏幸氏。藪恵壹や川尻哲郎、井川慶、赤星憲広、鳥谷敬ら数々の名選手の獲得に尽力した同氏に、在任当時のエピソードを語ってもらう。

 読者の皆さま、よろしくお願い致します。タイガースで26年間、スカウトを務めさせていただきました菊地と申します。振り返れば長い年月でしたが、終わってみれば本当に短い時間でした。現在、阪神を退団して10年になりました。もう70歳を超えてしまいましたが、こうして取り上げてもらうからには面白い話題をご提供させていただこうと思っております。どうか、お付き合いください。

 さて、現在のドラフトはウエーバー制度を採用していて、くじ引きとシーズンの順位による折り返しで選択希望選手を指名していきます。ただ、私がスカウトを務めた時代はそういったルールがどんどん変革されていった時期でもありました。

 私の中で印象に残るドラフトはスカウト就任から5年目、93年になるでしょうか。逆指名制度が導入された年ですね。もうこれは当時の巨人が作った制度と言っても過言ではないと思うんですが、逆指名制度ができたことによってスカウトの仕事は大きく変わりました。

 結果的に阪神は他球団の追随をかわして藪恵壹の入団を取り付けることになります。そして阪神球団第1号の逆指名1位指名選手は、見事に新人王を獲得することになりました。こうして言葉にしてしまえば簡単なように見えるのですが、そこに至るまでにはさまざまな物語が存在しました。

 藪はもともと学業にも熱心で高校からの進学第1志望は早稲田大学でした。1浪して再チャレンジするも朗報は届かず。結果として東京経済大に進学することになりました。当初は私の元に藪の情報は入っていなかったですが、とある大学の関係者から「東京経済大にいい投手がいるから見てきた方がいいですよ」と情報をいただきました。

 その時点で藪は4年生の春。首都大学リーグの2部でプレーしていました。ただ、さすがにそこまでは私もカバーしていなかったですし、大きな期待を持って藪を見に行ったわけでもありませんでした。場所は駒沢野球場だったと思います。

 球場に入り、階段を上がってスタンドからグラウンドをのぞいた瞬間でした。左右両翼のポール間をランニングする学生の姿がパッと目に入りました。外野を走っているそのシーンをひと目見ただけで、それが藪くんだとすぐに分かりました。

 もうひと目ぼれでした。今でもあの時の光景は頭に残っています。何より体のバランスが良かった。今は見る影もないほど太ってしまっていますが(笑い)。ルックスも男前でね。打撃も良くて、確か当時は5番を打っていたと思います。すぐに東京経済大の監督の元へあいさつに行きました。