パリ五輪メンバー選考が示す「日本サッカー」の超進化(1)松木玖生、OA枠「招集なし」も…斉藤光毅ら海外組「6人」の現実、中田英寿「時代」との違い

AI要約

男子サッカー日本代表メンバーが発表され、久々にオーバーエイジ枠が使われなかった。後藤健生は、これを好意的にとらえ、日本サッカーの成長を示すと述べている。

若手選手の招集難が起き、海外クラブ所属選手が招集された理由や背景を考察。近年の日本サッカーの動きを振り返る。

日本のサッカーが海外クラブに所属する選手を増やし、新たな試練に直面する中、オリンピック代表メンバーの変化が示す現状への深い感慨。

パリ五輪メンバー選考が示す「日本サッカー」の超進化(1)松木玖生、OA枠「招集なし」も…斉藤光毅ら海外組「6人」の現実、中田英寿「時代」との違い

 パリ五輪の開催まで、1か月を切った。国内でもオリンピックに対する期待、関心が高まっており、男子サッカーにおいても7月3日、代表メンバー18人とバックアップメンバー4人が発表された。今回は久々にオーバーエイジ枠が使われないなど変化があったが、サッカージャーナリスト後藤健生は、これらを好意的にとらえている。日本サッカーの「成長」を示すからだ。

 パリ五輪でメダル獲得を目指す男子サッカーの日本代表メンバーが発表されたが、今回はオーバーエイジ枠は活用されなかった。

 いや、オーバーエイジどころではない。

 23歳以下の選手でも招集されない選手が続出。かねて招集困難と言われていた久保建英(レアル・ソシエダ)や鈴木唯人(ブレンビー)だけでなく、将来を嘱望されるGKの鈴木彩艶(シントトロイデン)や、これまでU-23代表のキープレーヤーとして活躍してきた松木玖生(FC東京)の名前もリストになかった。

 GKの鈴木はイタリア・セリエAのパルマへの移籍が噂されており、松木も海外クラブとの移籍交渉中と言われている。

 つまり、パリ・オリンピックを目指す大岩剛監督率いる日本チームは、どう考えてもこの年代の最強チームではないのだ。

 これまでも、海外クラブに所属する選手がオリンピックに参加するには困難がともなった。だが、2021年の東京大会には、U-23世代の最強メンバーに加えて、オーバーエイジとしてA代表の中心選手として活躍していた吉田麻也や酒井宏樹、遠藤航という錚々たる顔ぶれが加わって、「最強チーム」が結成された。

 このときは、日本が開催国だったこともあって、海外クラブも選手の招集に理解を示してくれたようだ。

 それ以前の大会でも、今回ほどの困難は一度もなかった。

 そもそも、日本人選手が数多く海外クラブに移籍するようになったのは、21世紀に入ってからのことだ。

 三浦知良(カズ)は別として、海外移籍のパイオニアとなった中田英寿がセリエAのペルージャに移籍したのは1998年のフランスW杯後のことだった。当時、海外移籍するのはA代表のエース格だった。W杯で活躍してからというのが常識だった。

 だが、2020年代に入ると、多くの若手選手が海外クラブを目指すようになり、高校卒業後、Jリーグでプレーすることなく、直接ヨーロッパに渡る選手も珍しくなくなった。

 パリ・オリンピック代表のメンバー18人のリストを見ても、藤田譲瑠チマ(シントトロイデン)、斉藤光毅(スパルタ)など、海外クラブ所属が6人もいる。そして、招集できなかった選手、招集されなかった選手を含めれば、U-23世代だけでも20人近くがヨーロッパのクラブで活躍しており、FC町田ゼルビア所属となっている平河悠も、7月6日の名古屋グランパス戦を最後に、海外移籍を前提として町田を離れた。

 筆者は、ちょうど60年前の1964年東京オリンピックで、初めてスタジアムでサッカーを観戦した。

 その後も、銅メダルを獲得した1968年のメキシコ大会や初戦でブラジルを破った1996年のアトランタ大会など、オリンピックのサッカーをずっと見てきたが、「最強チームを派遣できない」という現状を目の当たりにすると、「日本のサッカーも、いよいよそういう時代に到達したのか」と深い感慨を覚えざるを得ない。