「日本をサッカーの指導者大国にする」オランダで切磋琢磨する“コーチのコーチ”が波瀾万丈キャリアを経て描く壮大なるビジョン【現地発】

AI要約

倉本和昌は日本人サッカーコーチで、日本をサッカーの指導者大国にすることをビジョンに掲げている。彼は欧州での経験を活かし、日本の指導者たちにアドバイスや刺激を送っている。

倉本は自身のサッカー経験を振り返り、挫折や進路決定の経緯を語っている。彼は早熟だったが、監督兼選手のように活躍する機会を得て、スペインで指導者の勉強をする決意を固めた。

担任の理解と応援が大きな力となり、倉本はスペイン行きを決意。彼の進路希望を認める言葉が、彼をサッカー指導者の道へと導いた。

「日本をサッカーの指導者大国にする」オランダで切磋琢磨する“コーチのコーチ”が波瀾万丈キャリアを経て描く壮大なるビジョン【現地発】

 倉本和昌(42歳)はオランダ在住3年目。その肩書は「サッカーコーチのコーチ」で、ビジョンは「日本をサッカーの指導者大国にする」ことだ。

「僕は三国志の『天下三分の計』で考えてみた。サッカーの環境はヨーロッパにすぐには勝てない。選手のタレント性で言うとCL(チャンピオンズリーグ)に出るような選手がまだ足りないが、日本がブラジル、アルゼンチンのようになるためにはあと2世代、3世代はかかりそう。でも指導者の育成なら僕が生きている間にトップに立てる可能性がある。

 だから、そこを自分は取りに行く。指導者のレベルを上げることで、CLに出る日本人選手を50人にする。そうなると世界中から『日本の育成を知りたい』と注目を浴びるはず。また、これだけ多くの選手がCLに出ればどのような戦術にも適応できるし、なにより彼らが憧れの存在になって、日本中がハッピーになる」

 倉本は日本の指導者たちに向けてオンライン・セミナーやミーティングを開いて、これまで培ってきた知見、欧州の最新動向をフル活用してアドバイスを送ったり、刺激を与えたりしている。経営の知識を活かしながら、街クラブ運営をコンサルティングするなど、活躍は幅広い。

 広島市出身の倉本はサンフレッチェ広島ジュニアユースの選手だった。サッカーエリートのように思えるが「とんでもない」と彼は言う。

「僕は小学生の頃から身体が大きく、早熟だったんだと思います。中2のときは試合に出れたのに、中3になったらベンチ入りメンバーにすらならなかった。これは大きな挫折。ユース昇格なんて、とんでもない。『プロになるのはとても無理』と思って、『プレーするのは高校で最後。卒業したらスペインに渡って指導者の勉強をしてライセンスを取ろう』と決めたんです」

 

 当時の今西和男強化部長から「ワシの母校、舟入高校を受験して、昔のように強いチームにしてほしい」という電話を受けたことで進路が決まった。

「結局、舟入高校は強くならなかったんですが、僕は1年から試合に出ることができた上、2年でキャプテンになり練習メニューを作るなど、まるで監督兼選手のようでした。これは良かった。なにより2年生から2年間受け持ってくれた担任に恵まれました」

 周りが大学進学の準備を進めるなか、倉本はアルバイトをしながらスペイン渡航の準備を進めていた。ほとんどの人が理解できない倉本の進路希望。しかし担任は理解を示し、こう応援してくれたという。

「バンドをやりたい者は東京を目ざす。お笑いをやりたい者は大阪を目ざす。お前はサッカーの指導者になりたいから広島からスペインに行くんだろ。分かった。俺はお前のことを応援する」