【桟原将司連載#25】ゴッドハンドのおかげでぎっくり腰は奇跡的に回復も…

AI要約

桟原将司が2005年にぎっくり腰を発症し、球団トレーナーに助けられる。

治療を受ける中で回復し、ピッチングができるまでになるも風邪で調子を崩す。

開幕二軍でリーグ優勝に貢献するも一軍登板は26試合に留まり、阪神タイガースの守護神として活躍する。

【桟原将司連載#25】ゴッドハンドのおかげでぎっくり腰は奇跡的に回復も…

【桟原将司 ハナの剛腕道中(25)】入団2年目の2005年、キャンプ終盤にぎっくり腰を発症した僕。せっかく首脳陣から期待されていたのに思い切りやらかしてしまいました。

 ただ、その時は球団トレーナーのゴッドハンドに助けてもらったんです。今はもう球団に在籍してないのですが、当時30代前半くらいのトレーナーがいて「サジ、どうなん?」といろいろ状況を聞いてくれて「ちょっと俺、見たるわ」と言って治療してくれました。「ちょっとブリッジして」「足をこうずらしてみて」「この足下げて。上げて。次は逆」という具合です。

 ブリッジといっても僕は寝ながらケツを少し浮かせるしかできない状態だったんですけどね。そうしたら見てもらっている最中に股関節がポキッてハマったんですよ。その瞬間、むちゃくちゃ楽になってしまいました。

 完全に治るまでにはいかなかったですが、沖縄キャンプの最後にはピッチングをできるまでに回復したんです。そこからは次のスケジュールもあるので、中西投手コーチから「いついつまでにこういう状態にして、ちゃんと合わせておけよ」と指示を受けました。

 それで「はい」ってめっちゃいい返事をしたんですけど、今度は熱が出てきたんです…。ぎっくり腰で心配かけて次は風邪ですよ。調整しておけと言われた日程で、甲子園でピッチングをしたらめちゃくちゃ寒い。ストライクも入らんし、息も苦しいし、オープン戦で投げてもやらかして即二軍行きでした。

 寮に帰って病院に行くとインフルエンザでした。面倒見のいい先輩の江草仁貴さんにもしっかりうつしてしまいました。江草さんは重症にはならず10日ほどで一軍に帰っていきましたが、僕はその後も全く調子が上がらず開幕二軍です。

 そんなこんなで05年は開幕二軍で、リーグ優勝に貢献したというふうに言ってもらえることもあるんですが、一軍では26試合。そんなに登板してないんですよね。1勝1ホールドで防御率3・66という数字も突出していたとは思わないですしね。

 どちらかというとその当時、めちゃくちゃ強かったウエスタン・リーグの阪神タイガースで守護神をさせてもらっていました。21試合でリーグトップの12セーブを挙げて防御率2・29ですよ。でも、それじゃいけないんですよね。

 今、ちょっと話題にしました05年の一軍での1勝。実はこれにはすごく意味がありました。この連載企画を受けさせてもらった時に「05年の唯一の1勝というのはどんな印象でしたか?」と聞かれて、最初は「何やったかな。忘れました」と返答したんですが、とんでもない。

 8月14日の巨人戦(東京ドーム)です。僕は先発した能見篤史さんの後を受けてロングリリーフをして勝利投手となりました。その様子は次回に書かせてもらいます。お楽しみに。