「自分を手堅いゴルファーとは思ったことはないんや。積極性こそ本領やと思ってます」“マムシの杉原”の裏には積極的な攻めの姿勢があった【“甦る伝説”杉原輝雄の箴言集⑨】

AI要約

1960年代から2000年代初頭まで、50年にわたって活躍した杉原輝雄。小柄な体格で最も飛距離が短かったが、高い正確性でトーナメントで活躍。異名も多く、その勝負哲学には現代にも通用する箴言があった。

杉原は自らを積極的なゴルファーと位置づけ、シンプルな攻略方法を重視した。長いコースでの勝利では、シンプルなアプローチに集中し、積極性こそが勝利への鍵だと語った。

「手堅いゴルファー」というイメージに反論し、自らのゴルフを積極的だと説明。勝利への積極性を重んじ、苦しい状況でも積極的なプレーを心掛けていた。

「自分を手堅いゴルファーとは思ったことはないんや。積極性こそ本領やと思ってます」“マムシの杉原”の裏には積極的な攻めの姿勢があった【“甦る伝説”杉原輝雄の箴言集⑨】

1960年代から2000年代初頭まで、50年の長きに渡って躍動した杉原輝雄。小柄な体、ツアーでは最も飛ばない飛距離で、当時トーナメントの舞台としては最長の距離を誇る試合で勝ったこともある。2打目をいちばん先に打つのだが、そのフェアウェイウッドが他の選手のアイアンより正確だった。ジャンボ尾崎が唯一舌を巻いた選手で、「マムシの杉原」、「フェアウェイの運び屋」、「グリーンの魔術師」「ゴルフ界の首領(ドン)」と数々の異名をとったのも頷ける話だ。「小が大を喰う」杉原ゴルフ、その勝負哲学を、当時の「週刊ゴルフダイジェスト」トーナメント記者が聞いた、試合の折々に杉原が発した肉声を公開したい。現代にも通用する名箴言があると思う。

ーー「自分を手堅いゴルファーとは思ったことはないんや。積極性こそ本領やと思ってます」

「稽古は複雑でも舞台ではシンプルでなければならない」とは故森繁久弥さんの言葉です。この言葉に共感したことがありました。試合ともなると、いいゴルフをせなとか、いいショットをしたいとかいろんな思いが頭に渦まきます。ところが、7000ヤードを超す長いコースで勝った時など、まず2打目を届かすということしか考えんのです。つまり、シンプルに攻めるいうこと。それが勝つという一点に集約されたんやないかと思うんです。

ボクは自分のゴルフを積極的だと規定してますのや。よく「フェアウェイの運び屋」とか「粘りの杉原」「マムシの杉原」とか人は呼んで、手堅いゴルフの代表みたいに思われているようやが、ボク自身は決してそうは思うてません。プロ入りして初優勝した日本オープンでのこと。最終日17番で第2打をグリーン横のバンカーに入れました。このホールはグリーンまわりにラフが深く、ラフよりバンカーがいいやろ思って、その上にあるピンを狙っていったんです。それが届かずにバンカーへ入り、そこからうまく寄せてパーを拾った。この時も粘りのゴルフといわれましたが、なあに、実はピンを積極的に狙っていったうえでの結果だったわけです。

この時は苦笑して反論はしませんでしたが、「手堅い」だけでは上位にはきても優勝はなかなか難しいのではないかという気がするのです。自分では積極性こそ本領や、と思ってます。