Eピースで初の日本代表戦…街なかスタジアムから平和発信

AI要約

エディオンピースウイング広島で初めての代表戦が開かれ、日本代表がシリアに5-0で勝利した。

広島県サッカー協会によると、広島での代表戦は20年ぶりで、Eピースでは初めて。会場周辺は大きな盛り上がりを見せた。

広島市はサッカー王国として知られ、長年の悲願であったサッカースタジアム建設を実現。森保監督の貢献も大きかった。

 今年2月に開業したサッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」(略称・Eピース)で11日、初めての代表戦が開かれた。2026年ワールドカップ(W杯)アジア2次予選の最終戦で、シリアに5―0で勝利。サンフレッチェ広島で選手や監督として長く活躍した森保一監督が率いる日本代表を応援しようと「サムライブルー」に染まった会場は、大歓声に包まれた。

 広島県サッカー協会によると、広島での代表戦は、2004年7月に広島ビッグアーチ(現・ホットスタッフフィールド広島)にスロバキア代表を迎えて対戦して以来20年ぶり。Eピースで初めての代表戦に、スタジアム周辺の公式グッズや飲食品の売店などでは、開場前から大行列ができた。

 山口県下関市から友人と訪れた会社員(56)は「広島駅が近くて本当に便利。街中にあるので平和記念公園や観光地に行きやすいのも魅力的」と話した。息子と訪れた大阪市淀川区の会社員(39)は、長崎県出身といい「原爆ドーム、平和記念公園に行ってからスタジアムに来た。子どもに原爆について伝えることができた」と話した。

 戦前から旧制中学が全国制覇するなど「サッカー王国」の広島。広島市中心部のサッカースタジアム建設は長年の悲願だったが、その実現には森保監督の貢献もある。12、13年にサンフレがリーグ初優勝、連覇を達成。当時チームを率いたのが森保監督だった。県サッカー協会などが、早期建設を求めて約37万人分の署名を集めるなど、連覇をきっかけにスタジアム建設の機運を一気に高めた。

 日本代表戦を待ち望む県民の声も多くあり、昨年11月には、日本サッカー協会の田嶋幸三前会長と宮本恒靖会長がともに視察。田嶋前会長は「日本代表戦も必ず持ってきたい」と意気込んでいた。

 創設期からサンフレッチェ広島を応援し、森保監督の活躍を見てきた広島市西区のサポーター(83)は「広島だけでなく日本のサッカーを盛り上げてくれたから今のスタジアムもあると思う。今日もしっかり勝利して、盛り上げてほしい」と期待した。

 湯崎英彦知事は11日の定例記者会見で「日本代表戦という形で全国の皆様にお披露目できて大変うれしい」と話し、原爆ドームや広島平和記念資料館にほど近いEピースで国際試合が開かれる意義を強調。シリアで内戦が続いていることに触れ、「シリアではこういう試合も難しい。平和だからできると多くの人に感じてほしい」と述べた。

 この日は日本サッカー協会の招待で、シリアのナジブ・エルジ駐日臨時代理大使らも訪れた。「内戦や地震でシリアは今とても困難な状態に置かれている」と述べ、「広島の持つ悲惨な歴史は今の母国の状況とも重なる。広島はスポーツを通じて平和へのメッセージを発信するのに最適な場所。広島の持つ復興のエネルギーに励まされる」と笑顔を見せた。