パリ五輪メダル期待の日本男子バレー 52年前“サーカス”と揶揄された伝説の監督とは【THE TIME,】

AI要約

オリンピックストーリー。52年前のミュンヘン五輪で金メダルを獲得した日本男子バレーチームの監督は、非常識なアイデアを持っていた。

東京五輪で女子代表が金メダルを獲得した後、男子代表は銅メダルに終わり、忘れ去られそうになっていたが、松平康隆監督の登場で状況が変わる。

松平監督は練習メニューにアクロバティックな要素を取り入れ、独自のプロモーション戦略も展開し、チームに多くの必殺技を生み出すことに成功した。

パリ五輪メダル期待の日本男子バレー 52年前“サーカス”と揶揄された伝説の監督とは【THE TIME,】

知られざるオリンピックストーリー。今年のパリ五輪では、「52年ぶりのメダル獲得」が期待される日本男子バレーですが、その52年前、ミュンヘン五輪での金メダル獲得の裏側に、今では考えられない“仰天発想”を持つ、伝説の監督がいました。

■「非常識の延長線上にしか世界一はない」

今から60年前、1964年の東京五輪。

“東洋の魔女”と呼ばれたバレーボール女子日本代表が金メダルを獲得。決勝戦の視聴率は66.8%!と日本中が熱狂しました。

実はこの時、バレーボール男子日本代表も銅メダルでした。

しかし世間の話題にもならず、オリンピックの祝勝会にすら呼ばれなかったのです。

そんな屈辱を受けた日本男子バレーが、ある人物の登場で激変します!

その人物とは、東京五輪の翌年、1965年に監督に就任した松平康隆氏。モットーは、「非常識の延長線上にしか世界一はない」

その言葉通り、松平監督は、常識に捉われない試みを次々と打ち出します。

その1つは、練習メニュー。

一見バレーとは関係なさそうな、連続宙返りにバック転など、アクロバティックな運動を練習に導入。ボールにひもをつけて回し、ジャンプでよけさせる、なんていうのまで。

これは、体の大きな選手でも素早い動きを身に付けるための練習でしたが、海外のメディアからは「松平サーカス」と揶揄されることも。

さらに、非常識とも言えるプロモーションも展開。

松平監督自らが企画し、スポンサーを集めてテレビ番組『ミュンヘンへの道』を作っちゃいます。

『巨人の星』や『アタックNo.1』さながらのスポ根アニメと実写を融合した、松平ジャパンのドキュメンタリー番組で、TBSのゴールデンタイムで毎週放送。

するとこれが大当たり!練習を公開すれば大行列ができるほど男子バレー人気に火が付きました。

■今でも使われる“必殺技”を生み出した松平ジャパン

そんな松平ジャパンには、金メダル獲得のため新たな必殺技が数多く生まれました。代表的なのが、「フライングレシーブ」「一人時間差攻撃」「天井サーブ」の3つ。