発生から160年の「禁門の変」 京都の研究者が指摘する、新撰組が果たした大きな役割は

AI要約

幕末の「禁門の変」について、講演会とシンポジウムが開かれた。3人の専門家が事件を切り取り、新選組の功績についても言及した。

禁門の変は長州藩による京都攻撃であり、会津や薩摩などの諸藩が反撃した。新選組の活躍も見逃せない出来事であった。

新選組は池田屋事件だけでなく、甲子戦争での活躍も重要であり、徳川慶喜や家茂から高く評価された。禁裏周辺での戦闘がその功績の一端である。

発生から160年の「禁門の変」 京都の研究者が指摘する、新撰組が果たした大きな役割は

 発生から160年となる幕末の「禁門の変」について考える講演会とシンポジウムが、京都市中京区の京都新聞文化ホールであった。中村武生・京都女子大非常勤講師ら3人の専門家が、それぞれの視点で事件を切り取った。

 禁門の変(蛤御門の変)は1864年7月に勃発。京都での勢力回復を狙う長州藩が御所周辺まで攻め込み、京都を守護する会津や薩摩を中心とする諸藩に退けられた。

 中村さんは「池田屋事件を超える新選組の戦功」と題して講演。開戦が深草(伏見区)だったことや、御所(禁裏)周辺での戦い後は天王山(大山崎町)や大坂方面に戦域が広がったことを指摘し、「禁裏周辺だけが戦場のような呼称でなく、『甲子(かっし)戦争』と呼ぶべき」と定義した。

 禁門の変での新選組の功績はあまり知られていないが、中村さんは戦後、新選組が徳川(一橋)慶喜や将軍家茂から働きを高く評価されたことを紹介。背景に、禁裏周辺の公家屋敷にこもる長州の残党狩りで活躍したことや、大坂方面への追撃で長州勢の武器を押収するなどの活躍があったとし、「新選組は池田屋事件だけでなく、甲子戦争での活躍もセットで高く評価されたと考えるべきだ」と強調した。

 中村さんの他、竹本知行・安田女子大教授や町田明広・神田外語大教授も講演。後半は竹本さんを進行役とするシンポジウム形式で話した。京都新聞企画事業が主催し、約130人が聴いた。