石井十次らの直筆書 初公開へ 25日 岡山、博愛精神伝える6点

AI要約

日本初の孤児施設を創設した石井十次ら、明治期から戦後にかけ児童福祉や貧困対策の礎を築いた岡山ゆかりの3人の直筆書が岡山市で初公開される。

書には十次の信条や孫三郎の雅号、豊彦の平和使節団の覚悟などが記されており、地域の居場所づくりに取り組む岡山博愛会が新たな活動の原点とすることになっている。

岡山における社会福祉の歴史に触れ、先人の精神を感じ取る機会として、25日に一般公開が行われる予定だ。

石井十次らの直筆書 初公開へ 25日 岡山、博愛精神伝える6点

 日本初の孤児施設・岡山孤児院を創設した石井十次(1865~1914年)ら、明治期から戦後にかけ児童福祉や貧困対策の礎を築いた岡山ゆかりの3人が直筆した書6点が、25日に岡山博愛会教会(岡山市中区御幸町)に隣接する旧保育園舎で初めて一般公開される。社会福祉法人岡山博愛会の更井哲夫理事長(76)=同市中区=方で保管されていた。聖書の一節も引きながら「自由、平等、博愛」の精神で弱者救済に当たった先駆者の信条を今に伝える。

 十次と、孤児院の運営を支えた実業家の大原孫三郎(1880~1943)、更井氏の父(故人)や故・三木行治岡山県知事と親交のあった社会運動家の賀川豊彦(1888~1960年)。十次と孫三郎の書は2人を支援した倉敷市の薬種商・林源十郎が更井氏の父に寄贈し、豊彦の書は来県して岡山市内の旧更井家に宿泊した際に残した。これまで書の存在は更井家以外に知られていなかった。

 注目は十次の書で〈何事をも思煩(わずら)ふ勿(な)き唯(ただ)毎事祈祷(きとう)を志(し)要求を志(し)且(かつ)感謝志(し)て己が求むる所を神に告げよ〉(1910年12月)。何事も悩んではならないという意味で、日清・日露戦争や災害で親を亡くした子供を全国から受け入れる孤児院に支援の手を差し伸べる人たちへの返礼として、したためたとされる。

 孫三郎は晩年の雅号「敬堂」を用い、行動や結果で人や物の本質が分かる意味の〈樹(き)は其(その)実(み)によりて知らる〉と揮毫(きごう)。「十次が亡くなった大正以降、孫三郎がキリスト教を題材にした言葉や絵はなく貴重な史料」と、倉敷美観地区の語らい座大原本邸(旧大原家住宅)の水島博学芸員は言う。

 ノーベル平和賞、文学賞候補になった豊彦は、太平洋戦争開戦前に平和使節団の一員として渡米した際、戦争阻止の覚悟を〈死線を越えて我(われ)ハ行く 神に召されし使命を生きて〉(41年7月)と記した。岡山博愛会創立60周年記念講演会などで来県した51年に制作した画賛など3点もある。

 岡山博愛会は近く旧保育園舎の改修を終え、今後、地域の居場所づくりに取り組む。新しい活動を始めるに当たり、25日午前11時20分から午後1時まで書を一般公開することにした。十次と豊彦の書は岡山にほとんどなく、更井理事長は「格差の拡大や障害者、高齢者の孤立防止が現代の課題。神の愛を基に、県民と共に社会的弱者を救済した先人の原点を直筆の書に触れ感じてほしい」としている。