日本兵2万2000人が死亡した「硫黄島の戦い」で「兵士になれなかった男」の正体

AI要約

硫黄島でなぜ1万人の日本兵が消えたのか、その謎に迫るノンフィクションが話題に

硫黄島戦の悲劇と生還者がいない現在の状況について

過去のドキュメンタリー番組を通じて、硫黄島の元兵士の現在を追う取材が始まる

日本兵2万2000人が死亡した「硫黄島の戦い」で「兵士になれなかった男」の正体

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

硫黄島戦の致死率は95%だった。

守備隊2万3000人のうち、生還者はわずか約1000人だけだった。

「だから、硫黄島の戦いは分からないことだらけですよ」

長年、硫黄島戦を研究している戦史研究家は僕の取材に対し、そんな話をした。

かの島の戦闘に関する僕の知識はすべて活字や写真、映像から得た情報だ。

生還者本人の取材を試みたことはあった。防衛省防衛研究所の史料や過去の新聞に掲載された生還者を名簿化し、記載された年齢から現在も存命していると思われる人を絞り込み、電話番号を探ったりしたが、いずれも不調に終わった。生還者が設立した団体「硫黄島協会」に問い合わせたこともあった。「現在、協会で把握している限り、ご存命の人はいません」。そんな回答が返ってきた。

硫黄島守備隊の兵士は、当時としては「老兵」と呼ばれる30代や40代の兵士が多かった。

彼らは戦後70年以上が経過した今、100歳をゆうに超えていることになる。そのことを考えると健在の人はもういないのだろう。自分自身にそう言い聞かせることで、生還者を探すことを諦めようとした。実際、近年の報道を見渡しても、生還者が取材に応じたという報道はなかった。

ちょうど、そのころのことだ。懇意にしている戦没者遺族から、過去に放送された硫黄島関連のテレビ番組をまとめたDVDを譲り受けた。その中にドキュメンタリー番組「兵士になれなかった男~祖父は硫黄島の学徒兵~」が入っていた。学徒兵だった西進次郎元陸軍伍長の足跡と現在の姿を追った内容だった。製作したディレクターの小川真利枝さんは、西さんの孫と紹介されていた。

西さんは1944年11月に硫黄島に配属。米軍上陸の約1ヵ月前の翌1945年1月8日に本土に帰還した。だから地上戦は経験していない。番組では「激戦前夜」の島内の状況や兵士の思いを克明に証言していた。放送日を確認すると、2015年11月30日だった。僕が視聴したのは2021年末のことだ。放送から6年が経過していた。

どうか6年たった今も、ご健在でありますように。僕はそう願いつつ、動いた。インターネットで小川さんの当時の所属会社を調べるなどした結果、連絡先を知ることができた。早速、小川さんに取材の可否を打診したところ、すぐに返事が返ってきた。

「祖父の西は今も鹿児島にいます」

望外の喜びとはまさにこのことだと思った。

戦時中の硫黄島を知る元兵士のインタビューを一度諦めかけた僕にとって、言葉に表すことができないほど大きな喜びだった。

小川さんによると、西さんは99歳で、鹿児島県内の高齢者施設で暮らしていた。

西さんの電話番号を教えてもらった。初めて電話したのは2022年1月23日だった。