バナナ使用せず味を再現、1世紀以上支持される珍菓 米倉商店の「バナナ饅頭」

AI要約

バナナ饅頭は、北海道池田町の米倉商店で創業120年の歴史を持つ珍菓である。

最初はバナナを大衆化しようとした創業者が、素人同然の腕前で試行錯誤の末に生み出した。

今もなお地元では愛され続け、町の代表的な土産物として親しまれている。

バナナ使用せず味を再現、1世紀以上支持される珍菓 米倉商店の「バナナ饅頭」

 【北海道池田町】箱を開けるとまるでバナナのような甘い香りが鼻腔(びこう)をくすぐり、口に入れると柔らかな生地にバナナ風味の甘さ控えめな白あんの味-。一度でも食べたことのある人は、この饅頭(まんじゅう)の匂いと味を決して忘れないだろう。

 今年で創業120年、1904年に開業した米倉屋(現・米倉商店)で当初から変わらず作り続けている珍菓「バナナ饅頭(1箱620円)」。2018年にはTBS系バラエティー番組「マツコの知らない世界」で紹介され全国規模で有名になった池田町を代表する土産物だ。

 バナナ饅頭の歴史は1904年、国鉄釧路線(現・根室本線)の池田駅開業とともに始まった。翌年には帯広まで釧路線が延伸。初代の米倉三郎氏は町内で呉服や雑貨商などを営んでいたが、開通を知ると駅弁屋に着目。甘辛く煮た鶏肉と煎り卵を甘めに味付けした「親子弁当」を発案し、池田駅での立ち売りを始めた。

 そんな折、誰もやっていないようなことや新しいものに興味があった三郎氏は当時、高級な食べ物で簡単には食べることができなかったバナナを大衆化しようと考えた。とはいえ、お菓子作りは素人も同然。「商品化に至るまで味がなかなか決まらず、焼きすぎてしまうなど失敗を繰り返したと聞いている」と4代目の米倉寛之さん(58)は話す。ノウハウがない中で世の中にあるまんじゅうを参考に、見聞きしながら開発を進めた。試行錯誤の末、2ヶ月後に「バナナ饅頭」が誕生した。

 バナナ饅頭は、先の親子弁当と共に、まさに飛ぶように売れた。当時は店と駅を何度も往復して運び、6~7人いた売り子が始発の午前4時から忙しく販売していたという。当時の列車は池田から旭川に約10時間、釧路へは約7時間を要した。列車の旅に弁当だけではなく、バナナ味の饅頭という珍しさも手伝って、手土産としての需要も高かった。

 町内で生まれ育った北金物店(町大通4)の北豊士朗さん(77)は「外までバナナの香りがして、店をのぞくと職人さんやママさん(寛之さんの母・故圭子さん)が手焼きしていたのをよく覚えている。列車がとまる度、忙しそうにバナナ饅頭などを積み込んでいた」と小学生の頃の思い出を振り返る。出掛けるときか、親戚が集まる盆や正月のときしか食べられなかった特別な菓子で「小さい頃は楽しみの一つだった。今でも好きな味」と笑みをこぼす。