静かに戦争の記憶を物語る 艦上爆撃機「彗星」機体の一部、民間の倉庫で保管
飛行場で被爆した日本海軍の爆撃機「彗星」の一部が保存されている
彗星は終戦間際の攻撃に失敗し、空襲で破壊された悲しい運命をたどった
30年以上前に寄贈された彗星の機体は、今でもアクリルケースに入れられて保存されている
昭和20年8月10日の空襲で、飛行場にいたところを破壊された日本海軍の爆撃機「彗星」の機体の一部が、盛岡市の民間施設の倉庫に保管されています。
保管されているのは旧日本海軍艦上爆撃機「彗星」の機体の後方部分、およそ2メートルです。
(彗星は全長10メートルの機体です)
この「彗星」は終戦間際の昭和20年8月9日に茨城県の基地を飛び立ち、釜石沖にいたアメリカ艦隊に攻撃を試みました。
しかし、うまく爆弾を投下できず引き返し、金ケ崎町の陸軍飛行場にいたところ、空襲に会い、破壊されたものです。
戦後、近くの農家が残骸の一部を持ち帰り、納屋に隠し持っていましたが、「戦争の悲惨さ、愚かさを知ってもらう資料にしてほしい」と1994年、岩手県高校教職員組合に寄贈しました。
「彗星」の機体は岩手県高校教職員組合の倉庫の中で、アクリルの展示ケースの中に入れられ、保管されています。
寄贈されてから30年以上経つことから、機体の塗料はところどころ剥がれ落ちていますが、日の丸の赤は今でもはっきりと見ることが出来ます。
また、機銃攻撃によって空いた穴が戦争の生々しさを今に伝えています。
管理する教育文化研究所と岩手県高校教職員組合では、「博物館のような施設を除けば、このような戦闘機の実物はなかなか見ることができない。これからも貴重な資料としてこの機体を保存し、平和の大切さを伝える教育に活用していきたい」と話しています。