「漫画王国岡山」12万冊で体感 故富永一朗さんが名誉館長務めた美術館30周年 その魅力とは

AI要約

吉備川上ふれあい漫画美術館が30周年を迎え、漫画専門の美術館としての魅力や展示内容について紹介されている。

館内には約6万冊の漫画があり、展示コーナーや企画展、子ども向けスペースなど多彩なコンテンツが用意されている。

館長の渡辺浩美さんが漫画ファンであり、漫画の美しさや社会的意義を伝えるために展示内容に工夫を凝らしている。

「漫画王国岡山」12万冊で体感 故富永一朗さんが名誉館長務めた美術館30周年 その魅力とは

 漫画専門美術館の先駆けとなった吉備川上ふれあい漫画美術館(岡山県高梁市川上町地頭)が開館30周年を迎えた。手元のスマートフォンで、いつでもどこでも電子コミックが読める時代になっても、週末には大勢の人が訪れると聞く。いったいどんな美術館なのか。漫画喫茶や書店とはどこが違うのだろう。名誉館長を務めた漫画家・故富永一朗さんの企画展を6月末まで開催中とのことで、少年・少女漫画に親しんできた記者が現地を訪ね、その魅力に迫った。

■本棚から読み放題

 岡山市街地から車を走らせること約1時間半。山あいの緑豊かな地域のあちこちにコミカルなキャラクターが描かれた看板が立っている。人口約2200人ほどの高梁市川上町地区。「マンガ王国へ」と書かれた門をくぐると扇形の建物が立ち、ガラス張りの窓からはずらりと並んだ本棚が見える。さながら図書館のような印象だが、そこにあるのは全て漫画だ。その数なんと約6万冊。書庫を含めた蔵書は約12万冊に上る。中に入ると利用者の姿は見えるが、しんと静まり返り、真剣にページをめくる音だけが聞こえてくる。

 「土日のたくさん人がいるときでもこれくらい静かなんですよ」。そう教えてくれたのは2021年から館長を務める渡辺浩美さん。旧川上町を「マンガ文化の町」として盛り上げる中心施設としてオープンした美術館は、4月29日に30周年を迎えたばかり。館内には大正時代の貴重品から話題の最新作や海外作品まで、一部展示品を除いて全て読み放題となっている。

 漫画喫茶との最大の違いは、工夫を凝らした数々の展示。開館30周年記念の企画展「富永一朗展~原画を読む」には関連資料を含めて約100点が並んだ。テレビ「お笑いマンガ道場」でお茶の間に知られた富永さんの代表作「チンコロ姐ちゃん」「ポンコツおやじ」の原画を、連載した雑誌「漫画サンデー」とともに1話まるごと展示し「リズミカルなセリフまで味わってほしい」と渡辺さん。川上町地区をイメージして書き下ろした作品のほか、館内を彩るタイルや開館当初のグッズに描かれていたと思われるイラスト原画など館ゆかりの品も多く、富永さんの作品の歴史とともに美術館の歩みを感じることができる。鮮やかな色彩は色鉛筆で塗られたものがほとんどだというから驚きだ。色鉛筆やはさみなど富永さん愛用の道具も見ることができる。

 他の展示コーナーも充実している。同じ高梁市にある備中松山城の猫城主「さんじゅーろー」にあやかり、猫がメインキャラクターとして登場する作品を集めた「猫コーナー」に、子ども向けに文字が少なく絵だけで分かる作品を集めたコーナー。中でも、渡辺さんの“イチ推し”は岡山ゆかりの漫画家の作品を集めたコーナーだ。

 2022年に映画化された「モエカレはオレンジ色」の玉島ノンさん=倉敷市出身=や「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」の平尾アウリさん=同=といった“時の人”から、「プライド」で知られる一条ゆかりさん=玉野市出身=や、岡山県久米南町出身で「ナニワ金融道」の作者・青木雄二さんといった“レジェンド”の作品まで約1200冊がそろい、「ドーベルマン刑事」で知られる高梁市出身の平松伸二さんら5人の漫画家から贈られた直筆のイラストやメッセージなど唯一無二のお宝も並ぶ。岡山県奈義町出身の岸本斉史さんの人気作「NARUTO―ナルト―」は館内に英語版も備える。渡辺さんによると、公表しているだけでもゆかりの漫画家は70人いるといい、記者が親しんできた「実はこの作品も…」と驚きの連続だった。渡辺さんは「人口に対して多いのでは。ここに来れば岡山が漫画王国だということを感じてもらえるはず」と胸を張る。

■社会とつながり

 渡辺さんは2004年の合併で同じ高梁市になった隣町、旧成羽町の出身。1994年に成羽町美術館(現高梁市立成羽美術館)の学芸員となり、リニューアルに携わった。世界的建築家安藤忠雄さんが設計したコンクリート打ち放しの建築を生かし、現代アートの魅力を体感できるような展示に尽力。2019年に吉備川上ふれあい漫画美術館への異動が決まったときは「面白い場所に来たな」と感じた。

 実は小さなころから熱烈な漫画ファン。少年・少女漫画を読みふけり、親からは「漫画ばっかり読まずに勉強しなさい」と叱られるほど。しかし「あさきゆめみし」の大和和紀さんや「ベルサイユのばら」の池田理代子さんらの画力と人間ドラマに満ちた漫画から「多くのことを学んだ」と振り返る。

 もちろん、大量に出版される漫画という“希少性のないもの”を美術館でどう展示するかは課題。成羽美術館での経験を生かし、企画展などでは「原画をそのまま見せることで、線の美しさやリアルさを味わってもらい、アミューズメント性に偏らないよう心がけている」と話す。

 開架で並ぶ漫画もいつも同じではない。ロシアによるウクライナ侵攻が始まるとすぐに、第2次世界大戦に従軍した旧ソ連の女性兵士の証言を集めたスベトラーナ・アレクシエービッチの「戦争は女の顔をしていない」を漫画化したものをそろえた。軽度知的障害のある主人公の恋愛を描いた「初恋、ざらり」のように「本では理解が難しい問題も漫画なら子どもにも理解しやすいはず」と社会とのつながりを意識する。

 吹き抜けの館内を見下ろす2階の「子どもごろごろ読書室」は、一面カーペットが敷き詰められ、座ったり寝転んだり、子どもも大人もくつろぎながら作品を閲覧できる。当日は再入館できるのでヨガマットや枕などを手に飲食時以外は丸一日過ごす「ヘビーユーザー」もいるそうだ。渡辺さんは「全国に漫画をテーマにした博物館や博物館相当施設は約80館あるけれど、自然に囲まれて静かに漫画の世界に浸れるこの環境は格別」と太鼓判を押す。実際記者も体験してみると、鳥の鳴き声だけが聞こえる館内で家よりもリラックスでき、異世界にトリップすることができた。

■時代語る遺産に

 30年間で入館者は63万人を超えた。スマホで漫画を見ていると、いつの間にかジャンルが偏りがちだが、「実物を見て、手に取れる選択肢があることが強み。企画コーナーなどでその出合いの演出をしたい。漫画を通じて新しい自分を発見してほしい」。紙の漫画だけで12万冊そろう美術館の価値はますます高まっていると渡辺館長は自負する。

 「クールジャパン」の代表格に位置づけられる、はるか前に着目した旧川上町の先見の明、その熱意に共感した富永さんら漫画家、そして引っ越しなどの際に古い漫画を捨てたり、売ったりせず寄贈した人たち。みんなの思いと30年の蓄積が、漫画ファンにはたまらない空間をつくり上げていた。貴重な原画はもちろん、大量出版の漫画本も歳月とともに時代を物語る文化遺産になっていく。収集、保管、展示される漫画に触れて歴史を感じ、異なる価値観に出合う―そうした「美術館」ならではの体験がここでかなうはずだ。

【メモ】吉備川上ふれあい漫画美術館は1994年開館。旧川上町は1988年から「全世代が楽しめる漫画でまちおこしをしよう」と取り組み、1991年に全国から自作の漫画を公募する「吉備川上漫画グランプリ」が始まった。故富永一郎さんは1989年に講演に訪れてからの縁で、開館と同時に名誉館長に就任。京都府生まれの大分県育ちと岡山に縁もゆかりもなかったが、漫画グランプリの審査員を務めたり、町内の看板のイラストを描いたりと頻繁に訪れていた。そんな富永さんに愛され、そしてヘビーユーザーたちの胃袋を満たしている店が、車で5分ほどの「カフェ&ショップ ポパイ」=高梁市川上町領家。杉仁美さん(49)と娘の友音さん(23)が、地産地消の食材にこだわったランチなどを提供する。1989年に仁美さんの父・明さん(74)と母の啓子さん(72)がレストランとしてオープン。啓子さんによると、富永さんは日替わりランチや弁当をよく注文し、来るたびに色紙を書いてくれるなど優しくてユーモアがあり、気さくな人柄だったという。仁美さんが2022年にリニューアルし、夏限定の地元産桃を使ったかき氷など新たな名物も生まれたが、コーヒーは開店当初のまま、富永さんも好んで飲んでいた味が今も楽しめる。