【特集】「まるで特撮映画」「地下水がボンボン出る」 新潟地震から60年 “経験者の証言” あの日、新潟市では《新潟》

AI要約

新潟地震の発生から60年が経過しました。能登半島地震と同様に、液状化被害や津波による避難が発生しました。

新潟地震で14人が死亡し、新潟市内では建物の倒壊や陸上競技場の大きな損傷が記録されました。ライフラインも途絶えるなど大きな被害が生じました。

地震当時を経験した人々の証言からは、当時の恐怖や混乱が伝わってきます。液状化現象や津波に対する未知の恐怖が振り返られました。

【特集】「まるで特撮映画」「地下水がボンボン出る」 新潟地震から60年 “経験者の証言” あの日、新潟市では《新潟》

新潟地震の発生から6月16日で60年。

新潟地震の被害とは、どのようなものだったのでしょうか。

60年前の記憶を経験者が証言しました。

「かなり強い揺れが起きています。電柱もかなり揺れています」

2024年の元日。新年早々、県内を襲った大きな地震、能登半島地震。

新潟市内では西区を中心に液状化の被害が相次ぎました。

そして60年前にも新潟市で発生した大きな揺れ。

「新潟地震」です。

近藤武夫さん

「建物が完全にゆがんじゃったし、いわゆる地下水の液状化で、水がボンボン出てきている。本当に生まれて初めてで、こんなことがあるんだという思いをしました」

近藤武夫さん当時22歳。自宅にあったカメラで、まちの様子を記録していました。

近藤武夫さん

「陸上競技場ですね。これが聖火台で、傾いている。国体が終わって5日目です」

大きく傾いた「陸上競技場」。

新潟市で国体が行われた1964年。

6月16日の午後1時2分、新潟地震は発生しました。

これは地震当日の映像です。

当時の計測では最大の“震度5”を観測した新潟市。

新潟駅には多くの人だかり。

一方、白山駅はホームや線路がグニャっと崩れています。

液状化により水に浸かってしまった車も。

県内で合わせて14人が死亡しました。

6月、当時の記録をまとめた写真展を開いた近藤武夫さん。

復興した様子が分かるように当時と現在の写真を並べて展示しました。

当時、同僚だった友人、谷沢利勝さんと当時を振り返ります。

「ちょうど私は新潟駅前にいて、駅前のでかいマンホールのふたが飛んで水が噴き出して」

「その頃に“液状化”と」

「名前はその後だけどね。液状化という名前はなかった」

「そう。初めて聞いた」

地震の後、初めて耳にしたという「液状化現象」。

さらに万代橋で目撃した津波から避難する多くの人。

近藤武夫さんと谷沢利勝さん

「津波も怖かったよ。『津波が来る』といって、逃げてくるときの足音が」

「当時まだ下駄とか履いている人が多くて、その足音がすごいんですよ、とにかく何千人が来るわけだから」

「カタカタカタカタって感じでものすごい」

それぞれの記憶の中にある60年前の体験。

当時小学生 村上市の男性

「慌てて外の校庭に出たら、池の水がこんな感じで(揺れて)ね。金魚がポンポンと、それでピシピシはねて」

当時高校生 新潟市の男性

「あっという間に、このぐらいまでヒザまで水がわいてきて。液状化だと思います」