埴輪から「太鼓のルーツに迫る発見」 森田克行さんが宮古平塚古墳の歴史的意義解説

AI要約

奈良県田原本町の宮古平塚古墳で初めて完全な形の太鼓形埴輪が見つかり、大阪府高槻市の大型前方後円墳・今城塚古墳と比較されました。

宮古平塚古墳の太鼓形埴輪は状態が良く、革を留める鋲も表現されている一方、今城塚古墳では全体の形状が不明でした。

宮古平塚古墳の発掘により、太鼓形埴輪の研究が進み、和太鼓の歴史に関する新たな発見があったことが強調されました。

埴輪から「太鼓のルーツに迫る発見」 森田克行さんが宮古平塚古墳の歴史的意義解説

国内で初めて完全な形の太鼓形埴輪(はにわ)が見つかった奈良県田原本町の宮古平塚古墳(6世紀前半、一辺20メートル)をテーマにした講演会が同町の唐古・鍵考古学ミュージアムで開かれた。大阪府高槻市文化財アドバイザーの森田克行さんが、同様の太鼓形埴輪が発掘された同市の大型前方後円墳・今城塚古墳と比較しながら、「太鼓のルーツに迫る発見」と歴史的意義などを解説した。

宮古平塚古墳の太鼓形埴輪は長さ28センチ、直径25センチで、革を留める鋲(びょう)も表現されている。一方、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳(6世紀前半、墳丘長180メートル)では破片の一部しか残っておらず、全体の形が不明だった。

森田さんは「宮古平塚古墳の埴輪を見て、今城塚古墳とほぼ同じ形だと分かり全体像が正確に復元できた。宮古平塚古墳があればこそ太鼓形埴輪の研究が進んだ」と強調した。

鋲留めで胴が長い両古墳の太鼓形埴輪の形状は現在の和太鼓に近く、「太鼓は飛鳥時代に出現したとされてきたが、古墳時代にも存在したことが裏付けられ、太鼓の歴史を覆す発見。両古墳が密接な関係にあった」と指摘した。

宮古平塚古墳の発掘は幅1メートルの細長い調査範囲だった点を挙げ、「調査区があと数十センチでもずれていたら太鼓形埴輪は見つからなかったかもしれない。完全な形で無傷だったのは調査が丁寧だったおかげ」と話した。