大阿闍梨も修行僧も関係なく、和やかなひとときを過ごす“心の居場所”/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」

AI要約

塩沼亮潤氏が大峯千日回峰行を経て気づいた「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」というテーマ。

塩沼氏が台所で行う日常の活動が人間関係や絆を深めることの重要性を示唆。

家庭や地域社会における“心の居場所”づくりが重要だというメッセージ。

大阿闍梨も修行僧も関係なく、和やかなひとときを過ごす“心の居場所”/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」

1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。

塩沼さんの著書『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。

文/塩沼亮潤

慈眼寺の台所は、参拝者の皆さんにはご案内することのない、生活感にあふれた場所です。

私は、ここでコーヒーを淹れたりフルーツを切ったり、料理の支度をしたりすることがとても好きです。そして、この場所は、弟子やお寺の職員たちとの共用スペースでもあります。 つまり、みんなで心地よく使うことを大事にするべき場所なのです。

台所では、大阿闍梨も修行僧も関係ありません。人間同士お互いを思いやって、食器を使えば洗って片付け、茶菓子があれば皆に振る舞い、冗談を言い、笑い、和やかなひとときを過ごす。他愛のないことかもしれませんが、たったそれだけのことで、相手との信頼関係や絆が強くなるものです。

家庭の大切な柱となるのは、こうした“心の居場所”づくりだと思います。

1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った書籍『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。