阪田マリン「昭和99年」を生きるZ世代のファッション

AI要約

昭和時代に興味を持ち、昭和テイストのファッションを取り入れるインフルエンサー兼アーティストの阪田マリンさんに焦点を当てた記事。

阪田さんが昭和に惹かれたきっかけや学生時代のエピソード、自分の好きなものを貫く姿勢について触れられている。

周りのことを気にせず、自分の好きなことを追求することの大切さが伝えられている。

阪田マリン「昭和99年」を生きるZ世代のファッション

昭和が終わって35年が経つ。その間にテレビに代わってYouTubeとNetflixが台頭し、SNSが情報発信の中心になった。令和は生成AIと空間コンピューティングの時代だと言われる。

そんないま、再び「昭和」が注目を集めている。2本立て映画館、純喫茶、レコード、公衆電話、銭湯。古着市場では王道のアメカジやミリタリーだけでなく「昭和レトロ」のジャンルを見かけるようになった。反応しているのは平成生まれのZ世代だという。

なかでも偏愛的な昭和フリークとして知られるのが、インフルエンサー兼アーティストの阪田マリンさんだ。写真集のロケ地は熱海の温泉地を選び、全編フィルムカメラで撮影するほど徹底的。

Fashion Tech Newsでは特にファッションの視点からインタビュー、いま最新のトレンドとして蘇る「昭和」の魅力を聞いた。

ー阪田さんが昭和に興味を持たれたきっかけは、中学2年生のときにお祖母様のご自宅で聴いたレコードだったとSNSで拝見しました。あらためて「昭和との出会い」について詳しく教えてください。

昭和にハマったきっかけは、おばあちゃんの家にあるレコードプレーヤーでした。「針を落とすと音が鳴るんだよ」と教えられて、その意味もわからずにはじめて聴いたチェッカーズの『Song for U.S.A.』(1986年)に痺れてしまったんです(笑)。それからお小遣いでアナログレコードを買うようになりました。

だんだん音楽だけでなくコミック・映画・ファッションにも興味が広がっていったのが中学時代。現在の活動を始める数年前のことです。

ー昭和テイストの服はいつごろから着るようになったのですか。

高校に入学してからですね。当時『ビー・バップ・ハイスクール』(1983年~2003年)が大好きで、どうしてもヒロインの順子のようなロングスカートで登校したかったんです。けれど私が通っていた学校の制服のスカートでは長さが足りなくて、夏服と冬服のスカートを縫い合わせて自作しました。

おばあちゃんは「なんでこんなにスカートを長くする必要があるの?」と不思議がりながらも手伝ってくれて。「これでも先生に短いって言われた」とごまかした記憶があります(笑)。

ー特に学生時代は、周りと違う見た目や行動をすることを控える方も多いと思います。学生時代の阪田さんは自分の好きなものを貫くことに対する不安はなかったのでしょうか?

もちろんありました。当時、学校ではミニスカートに短い柄物のソックスを合わせるスタイルが流行っていました。そこにスケバンみたいな恰好で登校したら、いじめられるかもしれないと怖かったのは確かです。

でも、それよりも強かったのは「嫌われてもいいから、好きなことしよう」という気持ちでした。ヤンキー漫画の主人公たちが自由にやりたいことをやっている姿を見ていたら、自分が恥ずかしくなったんです。「周りのことばかり気にして、なんてダサいんだろう」と。

でも、いざ登校してみるとクラスメイトには案外面白がってもらえたんです。不良というより「昭和オタク」という感じに見られて。だからこの記事を読んでいる方々も、好きなことがあるなら迷わずやってみたほうがいいと思います。

ただ、そのロングスカートは2日目に注意されて禁止になるんですけどね。「校則には『スカートを短くするな』とは書いているけど『長くするな』とは書いてませんよね!」と抵抗してみたんですけど……ダメでした(笑)。