イエスの脇腹に槍を突き立てた、ローマ兵士「ロンギヌス」を知っている?

AI要約

イエスの受難に関する異なる福音書の描写や外典の話を紹介。

ロンギヌスというローマの兵士が刺した槍が後世の伝説にどう関わっているか。

聖遺物であるロンギヌスの槍やイエスの十字架にまつわる伝説と信仰の歴史。

イエスの脇腹に槍を突き立てた、ローマ兵士「ロンギヌス」を知っている?

キリスト教の「聖人」たちについて知れば、歴史だけでなく、教義や宗派の秘密までも読み解くことができる。『キリスト教の100聖人』から一部を抜粋してお届けします。

十字架刑に処せられることになったイエスは、自ら十字架を背負ってヘブライ語で「されこうべの場所」を意味するゴルゴタまで行ったとされる。だが、これは「ヨハネ」にあるもので、共観福音書では、イエス自身ではなく、ほかの人間が十字架を背負ったと記されている。どの福音書でもゴルゴタが丘とはされていない。丘とされるようになるのは後世になってからである。

十字架に架けられたイエスに対して、一緒に処刑された他の罪人は冒瀆(ぼうとく)することばを吐いた。「マルコ」では、イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶望の声を上げたとしている。「マタイ」でも同様だが、ルカでは、「父よ、わたしの霊を御手(みて)にゆだねます」と、イエスの最期(さいご)のことばは異なっている。

ヨハネでは、イエスが十字架で息絶えた後、兵士たちの一人がイエスの脇腹(わきばら)を刺し、そこから血と水が流れたとある。水とは遺体からの体液の漏れである。ここでは、兵士がどういう人間だったかはいっさい述べられていない。

ところが、外典の一つである「ニコデモ福音書」、別名「ピラト行伝」には、槍を刺したローマの兵士はロンギヌスという名であったとされる。そこからこの槍は、「ロンギヌスの槍」、あるいは「聖槍(せいそう)」と呼ばれる。

ロンギヌスの槍が発見されたときのエピソードにはいろいろなバリエーションがあるが、有名なのは第1回十字軍がアンティオキアを攻めて苦戦していたときのものである。ペトルス・バルトロメオという修道士であり兵士である人物がお告げで発見し、それで十字軍の士気は高まったものの、その後、槍は行方不明になった。

この槍は、イエスの受難にかかわる聖遺物の一つであるが、こうした聖遺物のなかでもっとも価値があるとされたのが、処刑に使われた十字架であり、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の母、ヘレナが発見した。ヘレナは、イエスの四肢(しし)に打ちつけられた釘も発見している。

ロンギヌスについて、『黄金伝説』では、刺した瞬間に天変地異(てんぺんちい)を目撃して回心(かいしん)し、イエスの血によって弱っていた視力が回復したとされる。その後、殉教したとも伝えられ、聖人として崇敬の対象になっていった。