落下傘整備 情熱注ぎ40年 陸自関東補給処、野﨑広美防衛技官(60)  国民の自衛官 横顔②

AI要約

第1空挺団の落下傘整備員が40年間の情熱を語る。

精密な技術を駆使して落下傘を整備する日々。

天職としての喜びを感じながら若手育成にも努める。

落下傘整備 情熱注ぎ40年 陸自関東補給処、野﨑広美防衛技官(60)  国民の自衛官 横顔②

日本唯一の空挺(くうてい)部隊である第1空挺団。その任務に欠かせない落下傘の整備に約40年間、情熱を注いできた。わずか1ミリの傷でも見逃すことはできない緊張感の伴う仕事だが「微力ながら国防に寄与できているのがやりがい」と謙虚に語る。

落下傘の整備には多様で緻密な技術が求められる。千鳥縫いミシンや2本針のものなど5種類もの工業用ミシンを操り、手縫いでの作業も必要だ。

広げると直径約12メートルにもなる巨大な落下傘から、わずかな傷や焼け擦れを見つけ出し、修復。「機械の微調整は感覚的なもの。数をこなし、覚えるまでは大変だった」。同僚も認める持ち前の几帳面(きちょうめん)な性格で、仕事に向き合ってきた。

小さい頃から編み物が好きで、家のミシンで手提げ袋やポーチを作った。松戸駐屯地に勤務していた親戚に落下傘部の募集があることを聞き、高校卒業後の昭和58年に入隊。「好きなことを仕事にできたのは幸せだった」。今でも休みの日には愛猫のハンモックを自作する。まさに天職だ。

現在は整備班長として班内の指導、監督や若手の育成に努める。得手不得手、習熟速度は人それぞれ。個々の能力や性格に合わせるのは難しいというが、技を伝えていくのに労は惜しまない。

「(退職までの)残りの時間でどうやったら伝えられるかな」。立場は変われど、職人かたぎの真摯(しんし)な姿勢はいつまでも変わらない。(山本玲)